ばいばい、ポラリス






 松田陣平の通夜は慎ましやかに行程を終えたようだった。受付にはまだ若い男女が一人ずつ。葬儀スタッフか、私の知らない親族か、あるいは松田の同僚か。受付で記帳を済ませ、女の方にほとんど投げるように香典を渡す。受け取った女はギョッと目を剥いたが、相手をしてやるのも億劫で、私はさっさと奥へ進んだ。足を動かす度にズキリと横腹が痛んだ。その苦痛を奥歯ですり潰し、壇上の畳へと歩み寄る。

 私も見知っているご家族は意気消沈のご様子で、畳の上に座し、じっと壇上の写真を眺めていた。殉職、と聞いている。明日行われるらしい告別式はきっとお祭り騒ぎになるんだろう。私の記憶が正しければ、警察の殉職は二階級特進だ。


「松田さん、ご愁傷様です」


 松田の両親が振り返るのを待って、頭を下げる。母親の方が悄然と
ちゃん」と言った。


「きてくれたの……ありがとう。ありがとう」

「いえ、お気になさらず。……急でしたね、本当に」


 誰も覚悟なんて出来ていなかったのに。あいつは挨拶もなしに居なくなった。永遠の別れが唐突に訪れるのが警察という職だとしても、いざ置いてかれた当事者になった側がそれを苦もなく呑み下せるかといえば、断じて否だ。

 既知の顔触れが忽然と消えるのは、寂しい。どれだけ予感していても、どんなに身構えていても。喪失の痛みはたやすく人間を切り裂いてしまう。

 松田の母親がぐっと下唇を噛み締めた。そんな伴侶に寄り添うように肩を抱いて、松田の父親は私へそっと頭を下げた。


「あまり、いい写真がなくてね」


 冗談みたいな、言い訳の話題。一瞬、何のことかと思ってしまった。すぐに合点できたのは、それがすぐ近くにあったからだ。


「あぁ」


 祭壇の写真を見上げる。

 人相の悪い松田と目が合った。こちらを見下すように睨みつけている。彼がここまで不機嫌を晒すなんて、この写真はいったいいつ撮ったものなんだろう。


「人畜無害な笑顔を誂えるより、彼らしいと思いますよ」


 そうかな、と父親は強がった苦笑を浮かべる。

 松田陣平は、ただ愛想が良いだけの男じゃなかった。彼がそんな人間性だったなら、きっと私はこんなところに来なかった。

 ほんと、難儀な男に引っかかった。

 忘れてしまえば。紙くずみたいに捨てられたら。こんな痛みを覚えずに済んだのに。

 死んでから痛めつけてくるなんて、あいつはいったい何様のつもりなんだろう。呆れたくなったけど、口に出してしまえば「松田陣平様だよ」と言い返されそうで癪だった。

 あぁ、まったくもって、松田のすべてが癪だった。女の私じゃなくて男の親友を取ったことも。親友の仇を取ろうとしてそのまま死んだことも。こうして私だけを置いていったことも。なにもかもが癪だった。
ズキリズキリ。横腹が悲鳴のような痛みを訴えてきて、あのときの私みたいにひどくやかましい。

 写真を眺めている内に、松田の声が耳に蘇った。


『いや、死ぬだろ普通』


 その発言を受けて、爆弾処理班がそんなことを言っていいのか、と私は肩を上げたものだった。

 たしか、何かの弾みで「死ぬな」とかそんなことを言ったのだ。松田をまだ陣平と呼んでいた頃だ。私とあいつがまだ恋人と呼ばれる関係であった時代。


『そりゃ死ぬつもりはねえけど、でも、いつかは死ぬだろ。俺もおまえもさ』


 縁起でもない、と私は眉を顰める。


『まあ、もし俺が死んだら、三途の川の渡し賃はに頼むわ。気前よく百万ぐらいよろしく』


 バッカじゃないの、と私はあしらった。まず死ぬなよ、とも言った。

 ……言ったのに、松田は死んだ。私を置いていった。両親の前でなければ、馬鹿野郎と大声で罵ってやりたいぐらいだった。

 あいつは昔からヒトの話を聞かないのだ。

 手早く焼香を済ませ、松田の両親にもう一度お悔やみを述べてから、会場を出た。暗闇に沈む駐車場に停めたプリウスを目で探していると、背後から肩を叩かれた。


「あの、これ」


 受付に立っていた女だった。短く切り揃えられた髪型がよく似合っている美人だ。手には、私が寄越した香典がある。


「なにか、お間違えじゃないですか?」


 その声色は揺れていた。私の素性を怪しんでいるようでもあり、香典の中身に戸惑っているようでもあった。もし後者だとしたら、遺族の前で金の話をするのはどうかと機を伺っていたのかもしれない。


「いえ、間違っていません。それは松田に頼まれていたものです」


 かぶりを振った私に、女はいっそう戸惑いを浮かべた。手にした香典と私の顔を、かわるがわる見比べる。

 香典は他と比較するまでもなく分厚かった。中身は百枚の一万円札。横腹を掻っ捌いて臓器を一つ売ったのだから、いつもは杜撰な私も今回ばかりは数え間違えない。

 きっちり百万円。
 生前松田に言われた通りの、三途の川の渡し賃。

 おまえのことを引きずってなんかやるものかという宣戦布告の手切れ金。


「失礼でなければ、お名前と……松田くんとのご関係をお伺いしてもいいですか」


 女の控えめな申し出を快諾する。


「私はといいます」


 それから、笑って付け加える。なるべく明るく見えるように。とっくに松田のことなんて吹っ切っているのだという風に。彼のために切腹なんてするわけないという顔で。


松田あのバカの、元カノです」






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