平穏





「あ」

「む」



 夕飯の買い出しで赴いた商店街で、意想外の人物と遭遇した。ばったり正面から向かい合ってしまっては今更見なかったフリも出来まい。内心の葛藤はお互い様だったようで、相手もややあって諦めたような笑みを浮かべた。



「……どうもこんにちは、。きみも買い出しかな?時間から推測するに、夕飯のものとお見受けするが」

「えぇ、その通りです。……貴方も、ですか」



 アーチャーの肩には、幾つかの買い物袋がぶら下がっていた。それを落とさないように、彼は器用に肩を竦めてみせる。



「マスターが美味い肉料理をご所望でね」

「まさに召使いサーヴァントといったところですか」

「……。……いや、今回ばかりは言い返せないな」



 やれやれ、と溜め息をついてみせるアーチャー。

 どの口が「今回ばかりは」だ。彼はいつだって凛に対しては執事然と、ある意味では保護者面だろうに。……まさか自覚していないのか。無自覚でアレなのか。正気か、この男。



「きみはもう帰るところか?」

「えぇ。……ちょっと。何故横に並ぶ必要が?」



 私が首肯するや否や、アーチャーはどうしてか隣に入ってきた。

 最低限の礼儀としての世間話はもう済んだ筈だが。訝しんだ私が歩き出しても、何故かそのまま付いてくる。



「なに」



 アーチャーの横面は平然としていた。



「じきに日も暮れる。マスターの学友を一人で帰路につかせるわけにもいくまい。私のような者では些か不足するだろうが、謹んで送らせて頂くよ」

「……私は凛じゃありませんよ」

「もちろん知っているとも」



 暗に「そんなことをする意味はない」と伝えてみたのだが、軽く流された。言外の意味を受け取れないほど愚鈍な相手ではない筈なので、あえてということになる。これはどう抗弁しても無為になるだろうと判じ、溜め息をついた。



は何を作るつもりなんだ?」

「……何、と言われましても。いつも通り、大したものではありません。米と味噌汁、それに幾つかのおかずです」

「そう易々と自分を卑下するものじゃない。きみの歳で一定の料理を恙無く仕上げられるというのは、それだけで胸を張るべき偉業だ」

「……どうも」



 ありがとうございます、の言葉が自然小さくなってしまう。たかだかちょっと料理が作れるぐらいでそこまで肯定されてしまうのは、ちょっと不気味で、同じくらいこそばゆかった。

 当惑する私に対し、アーチャーの方はまるで他意のない発言だったらしい。すぐに話題を変えてしまった。……この男、誰に対してもこんな態度をしているわけじゃないだろうな。その内女に刺されかねないぞ。



「何か料理をするきっかけでもあったのかね?」

「きっかけ……」



 その、言葉で。
 閉じられていた記憶の蓋が、開いてしまった。

 ――――思い出すのは、赤色。一面の紅。

 どれに手を出しても全身が痛みを訴えてくる。そんな色で、そんな味。その瞬間、辛いと痛いは同意義と化した。

 ―――自分が作らねばならない。
 さもなくば死ぬ(舌が)。

 ……そんな覚悟を結ばねばならぬときが、あった。



「……ただの好奇心だ。無理に聞き出す気はない」



 過去を思い出して一人かたかた震えていたら、アーチャーがそっと労わるように言った。

 ……なんだか誤解された気がする。とても壮大かつ重大な過去があるように。いや、私にとってはそれなりに大きなターニングポイントだったけれども。主に教会の料理当番となった的意味合いで。

 それでも誤解されたなら説明しておくべきだろうと口を開きかけたそのとき、横合いから耳慣れた声が掛けられた。



「おうおう。と弓兵たぁ、珍しい組み合わせじゃねえか」



 私とアーチャーは同時に声の主を見遣る。

 魚屋のエプロンを腰につけたランサーが片眉を上げていた。アーチャーを指差し、子どもみたいに唇を尖らせる。



がどこの馬の骨にたぶらかされようが、金ピカと違って俺は極力静観してやるつもりだったがよ。、こいつはダメだぞ。こいつだけはやめとけ」

「……ランサー。とてつもない誤解をされているようなので言っておきますが、私とアーチャーはついさっきそこで出会っただけです」

「なんだ、そうなのか。おまえら二人、嬢ちゃんや金ピカの目を盗んで逢引してんのかと思ったぜ」

「「違う」」



 私とアーチャーの声が揃った。逢引なんて、そんな―――いや、有り得ないとまでは言えないのか。よくよく思い出せば、そういうこともしてしまった記憶がある。でもわざわざ言うことでもないだろう。

 二人の否定で安心しきったのか、ランサーは魚屋ののぼり旗を片手に声高く笑った。



「あっはっは、そうかそうか。じゃ、いいや。あ、。今日の晩飯なに?」

「……いつも通りですよ」

「お。なら、この秋刀魚なんかどうよ。俺の目利きによるとたぶんこいつあたりに卵が入ってんじゃねえかと思うんだが」

「ランサー。本日分の買い物はもう済んでますので。貴方の売り上げには貢献できません」

「えー」



 拗ねたように頬を膨らませるランサーを「また今度買いに来ますから」と私が宥めるよりも、腕組みをしたアーチャーが居丈高に鼻を鳴らす方が早かった。



「……の前では、アルスターの大英雄もただの男に成り下がるか。……あぁ、失敬。他意はないよ、ただの独り言だ」

「……のわりには、随分聞こえよがしだったなぁオイ」



 ランサーとアーチャーがお互い一歩も引かずに視線で火花を散らす。……何故か私を間に挟んで。しかも私の頭上で遠慮なくバチバチと。



「ちょっと!」



 その場でぴょんと飛び跳ねて、物理的に彼らの視線を遮った。二人の目がこちらを向く。



「喧嘩するならどうぞご勝手に。ただし、ランサーはお仕事を終わらせてから、アーチャーは凛の許可を取ってから。そして何より、私に無関係な場所でお願いします」



 せっかくの休暇を仕事で潰されてはたまらない。腰に両手を当てて言ってやった。

 アーチャーとランサーは何度か瞬きした末に、一度だけお互いを見合って、すぐにどちらからともなくそっぽを向いた。



がそう言うなら仕方ねえ。休戦だ」

「もとより私にそんな気はなかったがね」



 ……ひとまず、どちらも矛先を収めてくれたようだ。とりあえず一安心である。



「じゃあランサー、引き続きお仕事頑張ってください。私は教会で待っていますので」

「おう。美味い晩飯、楽しみにしとくぜ。……って、おいおい待てよ弓兵。何でおまえがに付いていくんだ。おまえの住処は真逆だろうが」



 私が歩き出してすぐ、さも当然のような顔で並行してきたアーチャーをランサーが呼び止めた。振り返ったアーチャーはシニカルに笑う。



「もうじきに夜なのでね。私はが教会に辿り着くまでの護衛を担当させて頂くんだ」

「………………。やっぱり俺の仕事が終わるの待たねえか?」

「待ってもいいですけど、その分夕飯が遅くなりますよ」



 ランサーが腕を組んで真剣に悩み出す。数分獣のような唸り声を上げた後、手にしていたのぼり旗でビシリとアーチャーを指し示した。



「送るだけ! だからな! に指一本触れるんじゃねえぞ!」

「……きみはの父兄か何かか?」

「妹分を心配して何が悪い」



 ケッ、と釈然としていなさそうな悪態。
 堂々と開き直る、仁王立ちのランサーであった。




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