把握





「おじさま――シロウおじさま。神父から此度私を借り受けた旨、問い質してもよろしいですか」

「……慇懃な言葉のわりに、『話すまで逃がさない』という感じの物騒な目つきですね」


 女の子がそんな顔をするものではありませんよ、とシロウ・コトミネは苦笑する。

 上空一万メートルを飛翔する鋼鉄の機体。もはや空は神でも鳥でもなく、人間の支配地になっている。今や誰もが世界を自由に飛び回ることが可能になったこのご時世だ。海外旅行なんて、そう珍しいことでもなくなった。

 自分を連れ出した張本人ことシロウ・コトミネと二人、私は飛行機のファーストクラスの座席に身を沈めている。


「誤魔化さないでください。……神父から聞きました、ルーマニアに行くのでしょう。それはいいです、修練の一環として私を同行させるのも理解できます。だけど、聖杯大戦、、、、なんて単語は聞き逃せない」


 私の叔父にあたる男――シロウ・コトミネの笑みがわずかにぎこちなくなった。

 男と形容してみたものの、実際の評価としては少年、あるいは青年の方が相応しいと思う。私の養父よりずっと年上の筈のシロウは、しかし我が家の誰よりも若々しかった。不老じみたその外見だけでも不可思議極まりないのに、彼は最近まで中東にいたせいで日本国籍のくせに銀髪褐色なんて外国人然とした容姿になってしまって、そのミステリアス具合はもはや収まるところを知らない。

 最近やっと十代に足を踏み入れた私と並んでいると、無知な他者からすれば、仲の良い義理の兄妹としか思えないだろう。実際は親子――いや、祖父と孫ほど年の離れた叔父と姪なのだけど。


「……どこからその話を? キレイには、そこまで教えていなかった筈ですが……」


 私は人差し指を虚空で踊らせる。爪先から漏れる魔力で紡がれた細糸は、さながら空間を彩るネオンサインだ。「盗聴ですか」とシロウがこれ見よがしに溜め息をついた。

 ――血筋柄、私は魔術に近付けない。しかしそれはもはや過去の話だ。聖堂教会の秘蹟によって改造された魔術回路は魔力を紡ぐだけの存在にあらず、私を分不相応な代行者の地位にまで押し上げた。とはいえ、噂に聞く埋葬機関ほどの任務は養父が弾いてくれていて、今回のように折に触れて身内に連れ出されるぐらいだから、代行者としての私は見習いぐらいの身分なのだろう。


「……確かに、戦場に連れ出すのに情報の一つも与えない、というのは些か不適切ですね。、聖杯戦争についての知識はいかほど?」

「噂に聞く程度です。あちこちで頻発していますがどれも主の紛い物――実用に足る器など、以前冬木に据えられていたものぐらい。とはいえ、これは都市伝説のようなものでしょうけど……」

「いえ、それは事実ですよ。冬木に大聖杯は確かにありました」


 叔父の言葉は冷淡だった。私は知らず瞠目する。

 ――私たち聖堂教会の人間において、『聖杯』は特別な意味を持つ。紛い物にその言葉を当て嵌めるなど図々しいどころの話ではない。教会からすれば侮辱に等しい行為なのだ。

 それを私よりずっと熟知している筈のシロウが『大聖杯』という単語を用いた―――その現実は、緩みつつあった精神を引き締め直すには十分過ぎる。


「けれど、それも昔の話です。いま大聖杯は冬木より強奪され、遠く離れたルーマニアの地に眠っている」

「……私をからかってる……わけじゃない、ですよね」

「勿論。俺はいつだってを一人前として扱ってきたでしょう?」


 にこり、と。人畜無害を形にしたような笑顔。

 ……シロウ・コトミネとの付き合いは決して短くない。だけど私は、ついぞ彼のその笑顔を好きになれなかった。

 不承不承ながら首肯して先を促す。シロウは窓枠に頬杖をついた。


「聖杯戦争は本来バトルロイヤルの形式で行われる儀式ですが、聖杯大戦は少々趣向が異なります。二つの陣営に分かれ、それぞれが七騎の英霊サーヴァントを召喚してぶつかり合う総力戦―――今回、それがルーマニアの地にて開催されるのですよ」

使い魔サーヴァント……?」

「ええ。過去の英雄や偉人を、使い魔として今世に蘇らせる魔術――それが英霊召喚です。まさに神話の再現ですよ」


 昔話でも語っていくような調子のシロウはやけに訳知り顔だ。聖堂教会に務めて長い彼のことだから、聖杯戦争に関わるのもこれが初めてではないのかもしれない。


「……英霊しにんを使い魔にするなんて……只事ではないですよ。どれほどの代償を払うのですか?」

「その為にを連れてきたんですよ」


 シロウはふいにこちらを顧みて、平然と言い放った。思わず私の頬が痙攣する。

 ――遅ればせながら、私は今回の事態をようやく理解しつつあった。
 つまり。英霊を現世に繋ぎ止めておくには、それなりの代償がいる。私がそれに役立つと彼は言う。しからば、私の特性上、可能性は一つに絞られる。


「……魔力タンク代わりですか……いえ、もう生きるタンク扱いも慣れつつありますけど……」

「おや。怒られるかと思ってたんですけど、意外に落ち着いてますね」

「落ち着いてるんじゃなくて。……諦めてるだけです」


 こと神秘に関わる輩にとって、私は本当に貴重な存在らしい。魔術から離れて神に身売りして尚も、この身に流れる血肉が私を神秘の世界に縛り付ける。なんて忌々しいのだろう。

 ……結局のところ、どうしたって私は普通の生活なんて送れやしないのか。分かってはいたけど、それなりにしんどい。


「――それで。私は何をすれば?」

「そんなに張り切らなくても大丈夫ですよ。はいわゆる秘密兵器――切り札の一つとして、来るべき瞬間まで安全にしてもらう予定ですから」

「おじさまは同じようなことを過去何度も私に言いましたが、一度として安全だったためしはないのですけれど?」

「ははは、も嫌味が言える年頃になりましたか」


 子どもが育つのは早いですね、なんてシロウは曖昧に流そうとする。

 深く突っ込んでも、見かけのわりに老獪な面のある叔父のことだ。どうせ体よくかわされ、適当にあしらわれるだけだろう。この辺りで切り上げておくのが、私にとってもダメージが少ない。

 座席に据えられた液晶画面には、もうすぐルーマニアに辿り着く旨が表示されていた。

 私は溜め息一つで、思考の種類を切り替える。


「――今回の殲滅対象は?」


 シロウがひそやかな笑みを浮かべた。


「魔術師です。しかし今回は個体ではなく総体――ユグドミレニア一族です」





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