夜の住人





「いやいや。プリユアがいくら女の子に人気っつっても、そりゃ視聴してる女児の範囲よ。エリちゃんプリユア見たことねーじゃん。急に配色鮮やかな女の子の人形渡されてもビビるだけだって」

「あー……それで受けなかったのかー……」


 なるほどなあ、と最近女の子の世話を看始めた同業者がしきりに頷く。

 俺がこいつと知り合ったのはつい三日前の話だ。いまの雇用主の治崎さん――若頭の指示で、エリという少女とその世話係を監視している。同じ組織に属しているのだから同僚といってもいいかもしれないが、実質としては知り合いより獲物に近いので、表面はともかく内心まで友人面をするのは憚られた。俺はいざとなれば、同業者に手を下す立場にある。

 屋敷の廊下を並んで歩きつつ、俺は適当な身振り手振りを加えながら語る。


「前知識なしでプリユアに喜べっつっても無理な話じゃん? だからもっとシンプルな……余計な知識を付けられると困るから、絵本は論外、子ども向けアニメも却下……トランプでもしてみたらどうだ? ババ抜きや七並べなら簡単だし」

「ガキと二人で?」

「……絵面きっついなぁ」


 だろ? と前髪がやたらと長い青年が肩を竦める。ちょっと前の窪田正孝でも意識しているのだろうかと思う髪型だ。俺はあの頃の彼が出ているドラマを見ていると、内容云々よりも前に「前髪切れ」と念じてしまうので、こいつにもさっさと散髪してほしいものだった。

 女の子と二人きりでトランプをする成人男性という想像図に俺が眉根を寄せていると、未だ名も知らぬ青年は疲れた様子で話の穂を継げた。


「そもそも、前の奴が逃がすような失敗しなきゃ、俺にこんな面倒な御鉢が回ってくることもなかったのによ……ガキの面倒なんざ見たことねーっつの……」

「でも大事な仕事だぜ? うまくやりゃ、治崎さんの覚えが良くなるかもしんないし」

「おまえみたいに外様だったらそうなるかもしんねえけどよ。うちはそんな甘くねえんだって」

「そんなもんかねえ」


 両手を頭の後ろに回して組む。彼の言う通り外様の俺からすれば、そんな甘くない組織にどうして属しているのだろうとはなはだ不思議だ。常道から外れちまった奴だって、承認欲求ぐらいは人並みに持ち合わせているだろうに。先日若頭に連れて行かれた先で出会った敵ヴィラン連合の面々を思い出していたら、彼の仕事場が近付きつつあることに気付いた。分かれ道に差し掛かる。


「……ま、何でもいいけどよ。エリちゃんを傷つけることだけはすんじゃねーぞ。間違いなく逆鱗だからよ」

「分かってらぁ」


 じゃあな、と世話係は小学生みたいに手を振って、右側の通路へと歩いていった。

 俺はその反対、左側の通路を歩いていく。和風総本家で豆助が撮影されていそうなほど立派な佇まいの屋敷を闊歩するのは、いつまで経っても慣れやしない。外部から雇われた身であることを自覚しているから尚更だ。角を曲がった先で「用済みだ」と切り捨てられる、なんて事態がいつ起こってもおかしくない。

 常に自分の有用性と脅威性を証明し続けねばならない。ゴールの見えないマラソンを水分補給なしで走り続けているような過酷な孤独。いまの俺には、それしか生き延びる術がない。

 曲がり角に行き当たって、無意識に緊張しながら折れる。照明一つない廊下の先に誰が立っているようなこともなく、知らず胸を撫で下ろしながら、数歩進んだ先にある扉を開けた。


「こんちゃーす。定期報告でーす」

「……もう少し緊張感を持てねえのか」

「それは別料金でーす」


 おどけて敬礼の真似事をしてから、部屋に足を踏み入れる。へらりと笑った俺に厳めしい目つきを向けてきたのは雇い主――死穢八斎会の若頭だ。

 見るからに高級そうな椅子に身体を預けている彼のヴィラン名はオーバーホール。大々的に指名手配をされているわけではないが、ヒーロー側からは常時警戒対象として気を配られている人物である。

 ペストマスクを彷彿とさせる独特なマスクに隠されて、治崎の表情はよく窺えない。彼の顔でまともに観察できる眉と目の色からして、良い感情を抱かれていないだろうことは何となく理解できるけれど。


「エリちゃんは、まあ、いつも通り。世話係は苦心してるっぽいけど、今のところ警戒してるんで逃がしたりはしないんじゃないですかね」

「当たり前だ。あんな失態がそう何度もあってたまるか」


 苦々しい声色に曖昧な笑顔を返すと、治崎は一瞬だけ俺から視線を逸らし、また戻した。


「――ヒーローにエリが見つかった」


 その一言に俺は瞠目して、咄嗟に片手で口元を覆い隠した。
 極力真剣さを装って、そっと治崎の様子を窺い見る。


「……笑っていいですか?」

「笑ったら殺す」

「うぃっす」


 にべもない返答に若干肩を落としながら、意識して唾を飲み込む。ごくり、と喉を通ったときには俺の口元から笑みが消えていた。

 彼らしくない失態だ。これまでエリの存在をヒーローどころか一般人にすら念入りに隠蔽していたのに。恐らくこの屋敷の近所に住んでいる人々ですら、彼女の安否に気遣う人間はいまい。いや、彼女が生きていることすら知っている者がいるかどうかすら怪しい。

 後ろ手で扉を閉めて、そこに背を預けた。雇い主の前でだらけた格好だと我ながら思うが、格式ばったものは諸々別料金だと事前に告げてあるので、いきなり殺されたりはしないだろう。


「しかしまあ……ヒーローですか。この辺だと有名なのはナイトアイ事務所辺りですかね?」

「あぁ。恐らく、そこの人間だろう。若いのが二人いた。新人か学生かはハッキリしないが」

「どんな奴らでした?」

「見覚えのないコスチュームだった」


 言外に「知るか」と語られてしまえば、それまでだ。俺は「そうですか」と肩を竦めるしかない。エンデヴァーのように有名なヒーローであれば治崎もさすがに記憶しているだろうから、そんな相手でなくてよかったとポジティブに考えるべきか。

 せめて居合わせたのが治崎でなく俺だったら、と益体もないことを思考してしまう。仕事柄、ちょっとしたオタク並にヒーローに詳しくなってしまった俺であれば、そいつらの個性ぐらいは把握できたかもしれないのに。

 もやもやした未練を溜め息と一緒に体外に追い出した。


「んじゃ、まあ……その内カチコミぐらいは想定しておかなきゃですね。あー、やだやだ。俺の契約期間中は来ないでくれないかなあ」

「殺人は追加料金じゃなかったな?」


 あてつけのように確認してきた治崎に、俺はあえてにっこりと微笑み返した。


「勿論。給料分はきっちりお仕事しますよ。たとえ相手がヒーローでも無辜の人々でもね」


 わずかに治崎の目が細められた。笑ったのか呆れたのか、判別がつきづらい。

 俺は腕を組み、大袈裟な動作で肩を竦めた。


「ちゃんとこの前も連合に会いにいった若頭に、犬みたいに付き添ったじゃないですか。怖かったなぁ、あのときは」

「意気揚々と女の首を掻き切るところだった奴がよく言う」

「あれは若頭が相手を一人殺しちゃったせいですよぉ。言っときますけど、俺が相手しなきゃ、あの女子高生、ロケットみたいに若頭に突撃してましたからね」

「その分の金は払ってるだろうが」

「ええ、ええ。若頭の羽振りの良さには感服するばかりです」


 ありがたいことで、と俺は笑みを深くする。治崎は平時の無表情に戻っていた。


「――俺の定期報告は以上で終わりなんですけど、若頭からは何かありますか?」

「おまえが仕事さえしてりゃ文句はねえよ」

「寛大だなー。憧れちゃうなー」

「殺すぞ」

「冗談ですって」俺は両手を持ち上げ、降参の意を示すようにひらひらと振った。「それじゃ、失礼します。あ、ヒーロー来そうだったら教えてくださいね」


 退室する素振りを見せても、治崎は何も言ってこなかった。僥倖とばかりに、俺はそのまま廊下へ出た。扉が閉まる際にふざけた様子で手を振ることを忘れない。

 月光だけが頼りの薄暗い廊下を歩きながら、ああ嫌なこと聞いちまったなあ、と肩を鳴らした。



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