そのままで生きていく






「ふと思ったんですよ。──そういえばちゃん、最近大人しくしてるな。偉いな。ご褒美にちょっとだけはしゃいでもいいんじゃないかな、なんて。うん、我ながら完璧な理屈ですね」

「言い訳はそれで十分ですか? 


 ロドス艦内の廊下。

 決して少なくない行きずりの人々が通り過ぎる中、ヴァルポの少女は正座させられていた。正面には笑顔の──額に青筋を浮かべた──クーリエが腕を組んで仁王立ちしている。


「ま、まだありますよ!」


 制裁の鉄拳が振り下ろされる前に、と呼ばれた少女は縋るように片手を突き出す。


「ケオベ様が『お腹空いた』と仰っていたので、はい。聞きつけてしまったからにはお手伝いをと。善意からもたらされる行いであったとご理解いただければ!」

「確信犯でしょう、きみは!」


 一息に腰を屈めたクーリエが、の頭頂部に生えた黒毛の両耳を千切れない程度に左右に引っ張る。致命傷にならないよう配慮されているとはいえ、痛いものは痛い。クーリエはのお守り役として長いせいか、彼女の仕置きに慣れていて、身体機能を害さない範囲で力を込めるのが上手いのだ。


「みゃ────っ! 痛い痛い痛い!」

「たしかにロドスに派遣されてから、トランスポーターとしてのきみの仕事は減ったかもしれませんが! 外に出にくくなった鬱憤も溜まっているかもしれませんが! 空腹のオペレーターをけしかけて食堂に壊滅的被害を出したことは、簡単に許される悪戯ではありません!」

「夕飯の食材には被害が及ばないように気を付けてたのに~!」

「みんなの為に用意していたおやつを、たった一人に完食されたヤーカの兄貴のあの複雑そうな顔を見ても、そんな言い訳を吐けますか!?」

「……次は気を付けます!」

「悪戯をするなって言ってるんですよ僕は!」


 上下左右に存分に振り回されたあと、ようやくの両耳はクーリエの仕置きから解放された。ひりひりする頭頂部に両手を当てて床に倒れ伏す彼女を見下ろし、クーリエは短い溜め息をつく。


「時間を持て余しているようなら、きみに一つ、仕事を差し上げます」

「いや別に暇なわけではないんですよ。実験と訓練で忙しい合間を縫って遊んでいるだけで」

「……いまのは聞かなかったことにしてあげます」


 もはやこの程度の制裁では懲りもしないのかこの同僚は、とクーリエは半ば呆れながら、


「もうすぐシルバーアッシュ様が到着なされます。出迎えに行きなさい、

「えっ!」


 は頭部の痛みを忘れて飛び起きた。


「私そんなの聞いてないですよ!」

「僕も先程知ったばかりです。とはいえ、シルバーアッシュ様が突然お越しになるのは珍しいことでも……、何をそんなに慌てているんです?」


 目に見えて右往左往する少女に、クーリエは首を傾げて問いかけた。

 二人はカランド貿易とロドスの協定により着任しているオペレーターだ。契約上の上司は現在ロドス上層部の面々にあたるとはいえ、本来の主であるシルバーアッシュへの忠義を捨てる道理はない。

 かの主はカランド貿易の重鎮であると同時に、二人同様、ロドスのオペレーターとしても籍を置いている。二足(実際はそれ以上だが)の草鞋を履く身分の彼は非常に多忙で、わずかな伝言をする暇もないのか単に億劫なのか、これまでも連絡アポイントなしの訪問は一度や二度ではなかった。ロドスの事務スタッフが頭を悩ませる一因である。


「……クーリエ! 郵便、代わりに行ってあげましょうか!?」


 頬に冷や汗を伝わせた彼女が引き攣った笑顔で振り返る。


「いえ。きみに手伝ってもらわなければいけないほど、いまは依頼も溜まっていないので」

「じゃあ他に! 何か他に、ロドスから離れられる用件はありませんか!?」

「……。きみ、シルバーアッシュ様に顔を合わせられない理由でもあるんですか?」


 クーリエの怪訝な眼差しに、少女は錆びた機械の動きで顔を逸らした。


「────ドクター様の、寝顔写真を、送りました」


 ぱちり。思いもよらない白状に、クーリエは瞬きする。


「……それが何かまずいんですか? シルバーアッシュ様はドクターの写真ならお喜びになるのでは……」

「仕事続きで三日寝てないシルバーアッシュ様に『ドクター様ならちゃんの隣に寝てるぜ☆』って文付きで」

「………………」

「やめてくださいクーリエ! 『こいつ死んだな』って目で私を見るのは!」


 かの男は、ロドスのドクターに並々ならぬ執心を抱いている。それが如何なる感情なのかは、余人の知るところではないが──忠誠心の塊であるクーリエでもちょっと引く代物なのは確かだ。

 いわば竜の逆鱗。
 考えなしに触れた間抜けがどうなるかなど、考えるまでもない。

 クーリエは、のことを常々バカだアホだと感じてはいたが、たったいまその最高値を記録した。

 は恥も外聞も捨てて、クーリエの腰にしがみつく。


「同僚のよしみで助けてくださいクーリエ! 今度奢りますから!」

「僕がいくら言っても悪戯をやめないきみには良い薬です。この際、シルバーアッシュ様にとことんお灸を据えてもらいなさい」

「真銀斬で三枚に卸される未来しか見えないからヤダー!」


 廊下でイトラとヴァルポの二人が一進一退の攻防を繰り広げる。

 それぞれ相手に掛かり切りになっていた彼らは、いつの間にか周囲から人気が無くなっていたことに気付かなかった。

 触らぬ神に祟りなし──常人であれば遠目に眺めるのがせいぜいの男が近くまで来ているなど夢にも思わず。





「ここにいたのか」





 こつり。
 悪魔の靴音を耳にして、の全身が総毛立つ。

 ぎこちなく取り繕った笑顔で振り返れば、口元に微笑を湛えた美青年の姿があった。

 ……しがみつかれていたクーリエが、観念しろとばかりにするりと逃げ出す。


「壮健で何よりだ、

「……は、はい。シルバーアッシュ様もご機嫌麗しゅう……」

「ああ、安心したぞ」


 いつの間にか、シルバーアッシュの手元には剣が握られていて。

 穏やかな笑みに見えるその奥──双眸だけは冷ややかに凍り付いていることに気付いた瞬間、は真冬のイェラグに裸一貫で放り出されたような錯覚を受けた。


「狩り甲斐のない獲物は本望でないからな」


 ────その後。

 は真銀斬とテンジンにロドス中を追い回され、その波及被害が艦内の六割に及んだため、カランド貿易から修理費と称した支援が十全に行われたという。





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