「……うーん……」
くるくる、くるくる。
自室の全身鏡の前で何度も回ってみるけれど、期待していた納得は空から降りてきてくれない。スカートの裾がふわふわと揺れるばかりで、眉間に寄ったしわは薄れそうになかった。
「いまいち……かな」
ショーウィンドウで見たときは稲妻に打たれた心地がしたものだけど、実際買って着てみたらピンとこない、なんてありふれた話。
私よりあのマネキンの方が着こなしていたんじゃないか? という気持ちさえ湧いてくる。
失敗する衝動買いなんて、久しぶりのオフだと浮かれ過ぎていただろうか。ケルシーが買い物に付き合ってくれるなんて珍しいこともあるものだ、といつもよりはしゃいでしまった自覚はあったが、ここまでとは。
己の短慮さをひしひしと感じながら、脱衣のため服に手をかける。
傍らのベッドの上に人間の姿はなく、代わりに脱皮を散らかしたような服がたくさん寝かされていた。これからモデル一人、観客も一人の寂しいファッションショーを開催するつもりなので、その支度である。
季節の新物だけでなく、下着まで新調してしまった。いやだっていま使ってるもののゴムがちょっと怪しい感じになってきているし? ケルシーに勧めた手前、自分も買わないわけにいかなかったというか? ……誰に言い訳しているんだ、私は。
ケルシーはスラっとした綺麗な身体で羨ましいなあ、選べる服の幅も広いだろうなあ、その点私はちょっとスカートの高さを間違うだけでドラム缶ですよ……などと彼女を試着室に突っ込んでいたときの妬み僻みが胸中で再発しつつ、下着を白から黒へ変えていく。サイズは店でも確認したけど、何度もしておくに越したことはない。
「……まあ、うん。さっきよりは……」
下着にサイズ以外の問題なんてあるとは考えていないけれど。いまいち、などと判定がなされなかったことに胸を撫で下ろす。服の良し悪しは自室で我に返ってみるまで分からないので、外に出ていたときの私がどんなに頼りなくても仕方ない。
……こんこん。
居住を尋ねるノック音。
「いるよー」
鏡面から目を離さずに返事をすれば、相手はドアを滑らせて入室してきた。
「ドクター。この書類なん、────」
鏡越しの青年は、目を見開いて固まってしまった。
少し毛先が焦げた黒髪、サロンで焼いてきたものじゃない天然の褐色肌。かすかに私の鼻腔をくすぐった海辺に似た香りは、薬品のそれだろうか、それとも彼の体臭だろうか。
「やあ、きみか。ソーンズ」
彼の手に数枚の書類を認め、私は振り返る。
何故か彼はじりじりと後退した。ドアが自動で閉まっていなければ、そのまま廊下に戻っていたかもしれない。私が近づくたび彼は後退り、やがて閉まったドアに背中をぶつけた。
「何の書類? 私のサインが要るものかな?」
「……何事もないように話をしないでくれ」
ソーンズは腹を括ったように顔を上げた。羽織っていた白衣を一息に脱いだかと思えば、それを私の肩に被せてきた。……ほんの一瞬、強く目を眇めて。
「あ。……そういえば買ってきた服を着てみていたんだ。すまない、見苦しい姿を晒したね」
「見苦しくなどない」
彼はきっぱりと首を振った。
「おまえは美しい。おまえが執る指揮のように」
仲間を戦場に送り出すこの頭と共に称賛されたようだ。……あまり良い心地ではない。それを素直に口にするわけにもいかず、私は苦笑した。
「ありがとう。といっても、指揮が整うのは君たちオペレーターの実力あってこそだけどね」
それで、と私は腕を伸ばす。
「書類は?」
ソーンズから無言で手渡されたそれに目を通す。
……案の定、私のサインが必要なものだった。アとワルファリンが実験室拡大を希望していたのは知っていたが、まさかソーンズまで彼らの企てに加担するとは。
ロドス有数のオペレーターたちに署名を連ねられては、私からもケルシーに嘆願しないわけにはいかないだろう。……あんまり皮肉を言われないといいんだけど。
「ちょっと待ってて。ペンを持ってくるよ」
言いながら、羽織らされたソーンズの白衣を返そうとしたら、そのうえから肩を押さえられた。まるで『脱ぐな』と言わんばかりに。
「ソーンズ?」
「……。……返さなくていい。まだ着ていろ」
「そう? じゃあお言葉に甘えるよ」
彼の前でごそごそ服を着るのも手間だったところだ。
丈の短いワンピースのようになってしまったソーンズの白衣を纏ったまま、机の引き出しからペンを取り出し、受け取った書類に走らせる。
「俺の部屋も散らかっている方だと自認しているが、おまえもなかなかだ」
ふとソーンズが言った。
ペンを走らせる手を止めて彼を見遣れば、ソーンズは落ち着きなく部屋のあちこちに目を動かしていた。ベッドの方を見てはすぐに床を見て、床を見ては天井を見て、天井を見ては壁を見て。注射を受ける前の子どもより意識が散っている。先程の言葉も、私に話しかけてきたというより、自問自答のようだった。
「いつもこうじゃないんだけどね」
聞いてしまった以上、無視するのも心地が悪く、私も独り言のように返していた。
「外から戻ると、つい成果を確認したくなってしまって。これも一種の職業病かな」
「かもしれないな」
「だったらきみも一緒に確認してくれる?」
「…………は……?」
ポカンと口を開けたソーンズに、私はサインを終えた書類を手渡しに向かう。
「ん、しょ。……ほら。この服もそうなんだけど、背中側が一人だとどうしても見えづらくてね。確認の目は多いに越したことないだろう?」
なーんちゃって、オペレーターに時間外労働させるとアーミヤに怒られるからやらないよ───と続ける前に、ソーンズから敵を見るような目で睨まれた。
「ドクター」
低く地を這うような声でソーンズが口を開く。
「おまえは俺を惚れた相手に無体を強いる男にしたいのか?」
今度は私がポカンとする番だった。
「……え?」
二の句を継げなくなった私の手から書類を奪い、ソーンズは颯爽と身を翻した。
「サイン、礼を言う」
だが、と滑るドアの向こうに消える背中は言葉を続ける。
「次回以降は訪問者が男である場合も考慮して、露出の少ない服を身につけてから返事をすべきだ。とくにあのイェラグのフェリーン。あの男相手に、そんな油断を晒すべきじゃない」
イェラグのフェリーン、男───シルバーアッシュのことか? と私が聞き返すよりはやくソーンズは部屋を辞してしまった。
また、一人になる。
……ええと。言葉をそのまま受け取ると、ソーンズは私に惚れているらしいのだが。
「……惚れ込んだ頭以外はどうでもいいとばかりに雑に扱ってくるエンカクとか、善意でモルモット扱いしてくるアさえいなければ邪推せずに済んだのにな……」
敵意から遠い言葉のはずなのに、どうして意味を真剣に考え込まなければならないのだろう。
「……あ」
俯きかけたとき、はたと気付く。
ソーンズに白衣返すの忘れた。