窓に咲く釘の花






 フェードラッヘ王都に図書館ができた。

 以前から貴族の好事家が熱心に設立を呼びかけていたとは小耳に挟んでいたが、まさか本当に建てられてしまうとは。イザベラの失脚からまだ日が浅いというのに、彼女に代わって執政官の任に就いたランスロットの行動力には恐れ入る。ヴェインは感心半分呆れ半分で幼馴染の顔を思い浮かべた。

 フェードラッヘのほとんどの民は自給自足を旨としているし、国としての財源もいままではシルフからもたらされるアルマに頼っていたほどだ。ランスロットが騎士団の派兵事業を立ち上げてから経済は徐々に回復の兆しを見せているが、完全に国が立ち直るというにはまだまだ遠いだろう。

 一部の物好き、あるいは暇人が手を出すもの。フェードラッヘの人間の八割は『読書』についてそう語るだろうし、実際ヴェインもそう思う。ランスロットあたりは例外の二割に含まれる人種だが、好んで本を味わっているというよりは、自らに必要な知識を得ようと躍起になった結果読書に辿り着いた、という印象だ。もっと効率的な方法があれば、彼もあえて読書を選びはしまい。

 とどのつまり、いまのフェードラッヘには『読書』という習慣、概念自体が薄いのだ。
 そんな国に、しかも王都に図書館。寝耳に水もいいところだろう。

 イザベラの悪事が暴かれたいまは他にもっとやることがあるだろうとヴェインは思うのだが、あのランスロットをして「いまだからこそだ」と言わせる事業。おそらくあの聡明な幼馴染は自分なんぞには考えもつかない未来像を描いているのだろう。いまはそう信じるしかない。

 だからこそ、ヴェインはこうして件の図書館までランスロットから託された荷物一式を運んでいるのだし。


「コレとコレとコレとコレ、図書館の責任者に渡しておいてくれ。見ればわかる相手だから、説明はしなくていい。終わったら今日は直帰でいいぞ」


 執務室でランスロットから渡された言葉を思い出す。

 直帰ったって、とヴェインは呆れた。ランスロットがもう何日まともに眠っていないか、ヴェインはよく知っていた。自分はろくに休まないくせにヒトには休めという。彼の何でもかんでも背負い込む性質には困ったものである。

 言葉と一緒に託された荷物のほとんどは書類関係だ。見るだけで頭が痛くなりそうな諸々の手続きを意味する大量の資料と、十冊ほどの本を紐で括ったもの。非力な子どもであれば荷車の一つもなければ運ぶのに苦労しそうな総合重量だったが、幸いヴェインは膂力には自信がある方で、素手で軽々と持ち運んでいた。


「この辺のはずなんだけどなぁ……」


 ランスロットから教えられた住所にはとっくに辿り着いていてもいいはずなのだが、それらしい建物がまったく見えてこない。

 ヴェインはぐるぐると周辺を見て回った末、パン屋のおかみさんを目にした瞬間に音を上げた。


「おばちゃん! 最近この辺に図書館ができなかったっけ!?」

「図書館?」


 ふくふくとした輪郭が愛らしいおかみさんは目を瞬かせた。


「『窓姫さま』の家の話かい? それなら、こっちとは逆方向だよ」


 逆方向。驚いたが、それより気を引かれた情報もあった。


「マドヒメサマ?」

「あぁ、あだ名だよ。時機さえ合えば、あそこの窓辺に高貴な美人が見えるってんで、うちの息子は最近熱を上げっぱなしさ。あんな美人から相手されるはずもないだろうにねぇ」

「美人」

「アンタも興味があるクチかい?」


 これだから男は、とおかみさんは仕方なさそうに笑った。


「そういうわけじゃねえけど!」


 ヴェインは慌ててかぶりを振った。


「ランちゃんはそんなこと言ってなかったから……」

「まあ、何でもいいけどさ。アンタ、窓姫さまのところに行くんだったら、これも一緒に持っていってくれない?」


 なんとも気軽い調子で、おかみさんからパンを詰め込んだ袋を渡された。

 ヴェインは目を丸くしつつ、思わず受け取ってしまう。


「もののついでだし構わないけど……これは?」

「窓姫さまから頼まれたものさ」


 少しからかうような物言いだったが、悪意まではなさそうだ。『窓姫さま』を歓迎こそしていないが、迫害したいわけでもない、といったところだろうか。


「そっか。ありがと、おばちゃん! 今度パン買いに来るな!」

「ちょっとアンタ! そっちの道じゃない! 逆だよ逆!」










 パン屋のおかみさん以外にも何度か城下の住人に手助けされて、ようやくヴェインは目的地に辿り着いた。


「図書館、っていうか貴族の屋敷みたいだな……」


 ほえー、と目を丸くして口も閉じずに建物の外観を眺めるヴェインの荷物はやたらと多くなっていた。

 というのも、おかみさんからパンを引き受けたのを皮切りに、道案内をしてくれた住人たちが軒並みあれもこれもと窓姫さまへの荷物を託してきたからである。衣服であったり本であったり、種類こそ様々だが宛先人は異口同音だった。

 王のお膝元ということもあり、フェードラッヘ領土では裕福な部類に入る城下町でもひときわ目立つ屋敷を通りいっぺん観察したあと、ヴェインは恐る恐る立派な門構えに足を踏み入れる。

 煉瓦に細かな細工を施された門には流れるような筆遣いで『図書館』と刻まれていた。どこかで聞いた響きだよな、と思いながらも、どこで耳にしたのだったかヴェインは思い出せなかった。


「は、白竜騎士団の者ですけどー……」


 窓姫さま、と呼びかけそうになって、慌ててランスロットから聞いた名に言葉をすり替える。


さまはいらっしゃいますかー?」


 こんこん、と玄関をノックしてみるも返事はなく。

 もしやと思ってドアを押してみれば、まったく苦戦せずに開いてしまった。

 来るもの拒まずを謳う図書館といっても無用心過ぎるのではなかろうか。ヴェインはやや心配になったが、ここで足を止めることもできない。後ろ手でドアを閉めるのに、少しだけ難儀する。腕いっぱいの荷物を抱え直して歩を進めた。

 中に入って一歩目で靴底が柔らかな絨毯と出会い、庶民の反射神経で飛び上がりそうになる。

 貴族の屋敷みたい、といったヴェインの印象は的を得ていて、内装も貴族の屋敷そのものだった。廊下には額縁に埃を被った肖像画がいくつも飾られていて、その縁には『サー・』と記されている。

 屋内は一瞥しただけでくらりと来そうな広さで、子どもが住むだけなら百人はゆうに収容できそうだ。とはいえ真に来訪者の目を引くのはその広さではなく、廊下や、そこから覗ける各部屋の面積を埋めるように設えられた本棚の林である。まだ中身を誂えられていない棚も多いが、それにしたって数が数だ。これらが全て本で埋まった光景は、きっと見るものすべてを呆気に取らせるだろう。

 なるほど、ここは図書館らしい。少なくともそうなる予定があるらしい、とヴェインは誰にでもなく頷いた。

 居住者の気配はまるでせず、屋内には静謐がちゃぷちゃぷと満ちていた。この広い屋内のどこへ向かえばいいのか分からずヴェインが途方に暮れていると、どこからかカンカン、と釘を打つ音がかすかに聞こえてきた。


「……さまー?」


 もう一度、目的の人物に呼びかけてみたが、釘の音しか返ってこない。

 昼過ぎに出発したはずが、時刻はとっくに逢魔が時だ。魑魅魍魎の類でないことを祈りつつ、ヴェインはか細い釘の音を頼りに歩き出した。


「白竜騎士団の者ですけどー。さまー? いらっしゃいますかー?」


 カンカンカン。歩を進めるたび、釘の音はだんだんと大きくなっていく。

 音の発生源が近付いている。

 今更ながらヴェインは少しだけ緊張した。両肩が知らず強張る。

 。有力貴族の辺境伯である候の令嬢であり、この図書館の設立者兼責任者。ランスロットによればイザベラ失脚前は王城に何度も足を運んでいたらしいが、遠征任務の多かったヴェインは彼女を目にしたことがない。

 たった一人で、目上の者に相対する。ヴェインも初めてとは言わないけれど、庶民の身では何度やっても慣れない仕事だ。特に候といえば、王に直接談判することすらできるほどの大貴族である。今回会うのはその娘とはいえ、不安が解消される理由にはならない。娘が御父上に少し泣きつけば、一兵卒の首など簡単に飛ぶだろう。

 もしや、ただ届けるだけだからと軽々に引き受けていい任務ではなかったのではないか。自分の現況にだんだん泣きたくなってきたヴェインは「恨むぜランちゃん」と諦念を込めて呟いた。

 鬱々とした思いが募ってきた頃、釘の音が生まれる部屋の前に辿り着いた。早鐘を打つ心臓と、中から聞こえてくる釘の音はほとんど同じ大きさになっている。

 ドアをノックし、語りかける。


「白竜騎士団の者です。いま、お時間よろしいですか?」


 釘の音が止まり、ようやく「どうぞ」と鈴のような声が返ってきた。

 おどろおどろしい物の怪の声色でなかったことに胸を撫で下ろす。


「失礼します」


 ヴェインは神妙にドアを押し開けて───瞬間、石化を受けたように固まった。

 ごろり、と床に転がる妙齢の美人。一目で彼女が『窓姫さま』だと分かった、分からされた。

 なるほどこれは街の男たちが熱をあげるはずだとヴェインを納得させた麗しき人は、口に釘をいくつもくわえ、絹糸のような長い髪を惜しみなく敷き布代わりにしていた。ひっくり返って起き上がれない亀のような体勢で柳眉を寄せ、組み立て途中の椅子と取っ組み合っていた。

 その椅子が服と床に不思議なほどぴったり噛み合っている。あれでは立ち上がれまい。なるほどだから転がっているのかと納得して、彼の思考は停止した。

 ……貴族? 予想だにしなかった有り様に、ヴェインは脳内幼馴染ランスロットに問いかけた。「国外にも名を轟かせる大貴族だぞ!」彼はとてもいい笑顔で教えてくれた。ですよね。


「弁明だけさせて」


 『窓姫さま』は口から釘を吐き出して言った。


「椅子をね、作ろうと思ったの。ここに来るまでに本棚がいくつもあったでしょう? あれも私が作ったの。だから椅子も簡単に作れると思ったのだけど、これが意外と難しくて……主に全体のバランスね。最初にある程度の長さを準備しておける棚と違って、椅子は足や肘置きの調整がなかなか……」

「あ、はい」

「だから、だからね。決して普段から床に転がっているわけではないの。これは、あの……気付いたらこうなってて……日頃はちゃんと二本の足で自立しているから……決してみくびらないでほしいのだけど……」


 『窓姫さま』はもごもごと言い淀んだあと、深く長い溜め息をついた。その目はヴェインがよく知る色になっている。徹夜で執務仕事を終わらせたランスロットがよく浮かべている色だ。諦念と許容である。


「……お父様には内緒で助けていただけるかしら」


 おもしろい人だよ、と脳内幼馴染ランスロットが満面の笑みで紹介してくれた。ヴェインもそう思った。





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