わたしが侍女として働かせていただいているお城には、黒竜の名を冠する騎士団があります。
“竜殺し”として名を馳せるお方が団長を務めるその騎士団は遠方の島々にも勇名を轟かせ、いまでは『フェードラッヘで竜は死すれどその牙は依然健在なり』と旅の吟遊詩人に歌われているほどです。彼らに守られている身なれど、その強さを誇りに思わぬ国民はいません。
黒竜騎士団にはとっても強い団長の他に、双翼と謳われる二人の副団長もいらっしゃいます。
その二人の副団長こそ、私と幼馴染に日夜熱弁を振るわせる原因なのでした。
「そろそろ仕事にも慣れてきたと思っていたんですけど……」
重たい書類の山を両手で抱えながら、ふあ、とあくびするわたし。
午前五時。まだ城の中に
これからは冷え込んでいく一方の季節においても、侍女の仕事は変わりません。王族貴族はもちろん、騎士の方々よりもずっとはやく目覚めて、彼らに快適な一日をお過ごしいただけるように気を配って動かねばならないのです。
……とまあ、そんな偉そうな口を叩いてみたところで。
「眠気ばかりはどうにもなりませんね……」
ううーん、とぴょんぴょん跳ねて前進してみるわたしなのでした。
身体を震わせれば重力と一緒に睡魔も落ちていってくれないかと期待したのですけれど、まあ、当たり前に不可能でした。
この書類を騎士団長室に運んだあとは、既に幼馴染が詰め込んでいる調理場へ戻らねばなりません。
侍女というのは、親から聞かされていたものよりかなりブラックな職でした。一日中あれこれと雑務に追われるうえに、休憩時間もほとんどありませんし、とっとと身を固めて辞めていく同僚が多いのも納得がいくというものです。
あまりぼやぼやしていると、調理場で顔を合わせる幼馴染に「遅い!」と怒鳴られかねません。いつまでも寒さに足を縮ませていないで、少し急ぐべきでした。わたしは「よし」と気合いを入れ直します。
「おはようございます!」
「うひゃわぁああ!」
……後ろからいきなり元気な声で挨拶をされて、心の底から驚きました。
うっかり前のめりに倒れるところでしたが、なんと声の人物はわたしが失態をしでかす前にこちらの腰に素早く手を回し、書類をぶちまける寸前で助けてくれました。
「す、すみません! 驚かせるつもりではなかったんですが……」
────美形。鼻先三寸。
心臓が大きく跳ねました。いえ、跳躍が一転して止まったかもしれません。
「こ、こちらこそすみません……」
どうにか声を絞りだし、彼との間に書類を壁代わりに持ち上げるわたしでありました。
なぜかといえば、こうでもしなければ彼のあまりに端正すぎる顔立ちに目を焼かれて死んでしまうからです。
「────ランスロット副団長」
そう。彼こそ、黒竜騎士団の片翼。国の内外に武勇を響かせる副団長の一人です。
「その書類は……ジークフリート団長のところへ持っていかれるのですか?」
「は、はい」
「でしたら俺も、」
手伝います、などと言われては侍女長から何時間お説教を受けることになるやもしれません。
わたしは残った理性を総動員し、精一杯の素早さでランスロット副団長から離れました。
三歩分の距離を取って、くるり、半回転。にっこり浮かべる笑みは仮にも侍女としての意地が顕現したものでした。
「お手間を取らせて申し訳ございませんでした、ランスロット副団長。それでは、わたしはこれにて失礼いたします」
ぺこり、一礼。
────瞬間、わたしはこれまでの亀のような歩みが嘘のような速度で駆け出しました。地元の駆けっこ大会でもこのような速度を叩き出せたことはありません。侍女ではなく飛脚になる道もあったかもしれぬ、と自らの可能性に今更ながらに気付いたりいたしました。
書類の重さも忘れて疾走すること数分。ドアを壊しかねないほどの勢いで騎士団長室へ飛び込んだわたしは、そのまま書類を執務机にどっさり落としますと、すぐに踵を返しました。復路で往路同様にランスロット副団長に遭遇しては冗談にもなりませんので、ひょいと廊下の窓から飛び出し、王城の外壁の縁などを足場にして疾走しました。田舎育ちでよかったと思うことの一つです。幼馴染と共に冒険した山岳地帯を振り返れば、高いところや入り組んだところなどをまったく怖いとは思わないのでした。
調理場の近くまで行き着くと、わたしはまたひょいと飛び降ります。およそ二階分の高さからの自由落下でしたが、わたしの最高記録は五階分(六階からはさすがに受け身を失敗して骨折しました)なので、問題にもなりません。
そしてわたしは勢いをまったく殺さぬまま、胸から溢れ出る衝動のままに調理場へと駆け込みました。
「────ランスロット副団長、今日もめっっっちゃ受けです!!!!!!!!!!」
「仕事しろ」
青筋を浮かべた幼馴染が、手にしていたトマトをぐしゃりと握りつぶしました。
彼女は生粋のランスロット副団長攻め派なのです。
幼馴染だというのに、昔から男の趣味だけがちっとも合致しません。悲しい話です。