無量大数





 どんな場所でも気に食わないやつというのはいるものだ。

 にとって、降谷零という男はそれだった。

 同い年で、昔から腐れ縁で何だかんだと同じ場所に属することも多く、それはお互いの進路を定めてからも変わらなかった。警察学校に入り、紆余曲折の後にが警視庁、降谷が警察庁勤務となってからも付き合いは不思議と切れることはなく、つかず離れずの距離感を不本意ながら現在に至るまで保っている。

 昔から気に食わなかった、とはいつだってそう語る。

 成績においても運動能力においても、ありとあらゆる点で降谷はの上をいった。が百点を取れば彼は百二〇点を取る。そういう男で、くわえてやらせれば何でもできる万能かつ要領の良い奴であったから、その少し下をいくはいつだって忸怩たる思いだった。

 悔しさとか憎しみとか羨望とかその他諸々詰め込んで怪獣めいた呻き声を上げながら、自室の壁に何度頭をぶつけたか知れない。学生時代は実家暮らしだったため、その度に母親から「家を破壊するつもりか!」と四の字固めを食らった。長年の降谷に対する恨み言を受け止めてきた壁も数年前ついに穴が開き、ベニヤ板のお世話になったことは記憶に鮮明に残っている。

 とにかく、は降谷零が気に食わないのである。


「――って、アンタ言ってたじゃない」


 夜のカフェテリアにて、宮本由美はニヤニヤと頬杖をついていた。

 その向かいでは頭を抱えて、机に沈んでいるの姿がある。


「違う……違うんです由美ちゃん……あれと私はそういうんじゃなくて……いやその認識でいいんだけどその表情はものすごく納得がいかない……そういう顔は高木と美和子ちゃんに向けて……」


 彼女の声音からは深い悔恨と困惑が読み取れた。
 がこんな姿を晒すのは半年に一回あるかないかで、それも常日頃聞かされている件のクソ野郎関連となると、さらに珍しい。合コンを失敗にされた恨みもあって、由美は悪戯っ子のような表情を崩さない。

 二人は合コン帰りだった。女子の人数不足から由美がを半ば無理矢理連れていったようなものであったが、としても満更でもなかったことは確かである。元々騒げる場所は嫌いではないし、友人に必要とされるのは悪くない気分だ。由美はより些か年下ではあったが、が彼女の遠慮しない態度を特別気に入っていたということもある。


「何が違うってのよ。そりゃ新山の態度はプライドエベレスト男恒例の上から目線だったけど、あれでもあいつエリートコースよ? ちょっと耐えてれば玉の輿だったのに」

「あんな奴の玉の輿に乗るぐらいなら死んだ方がマシだ……」

「まあ、うん。酔ってるとはいえ、勝手にアンタのスマホ使ってメール見たのは私もドン引いたわ。しかもそれで『こいつ誰だ』なんて彼氏面して問い詰めてるのは更に引いた」

「ロック機能って大事だね、由美ちゃん……。ちゃんと設定しました……」


 うごうごと言葉にならない鳴き声を漏らしながら、が机に沈んだまま戻ってこない。そんな彼女に、由美はトドメの一言を紡ぐ。


「でも、『こんな男よりオレの方が絶対に良い』って言われたからって『おまえにこいつの何が分かるっての!? このブタハゲクソ野郎!』で背負い投げはないと思うわ」


 めきょり、との周囲だけ重力が増したような錯覚。
 しかし実際に彼女の頭が沈んでいる部分だけ机が凹んでいたので、錯覚ではないのかもしれない。

 ――酒の場とはいえ、そんなことを仕出かせば場が壊れるのは当然だ。女の子側は「今回目ぼしいのいなかったから別にいいよ」「っていうか逆に感謝してる」「むしろよく言った」と許してくれたものの、男性陣には申し訳ないことをしたとは思っていた。新山はともかく、他の人たちは至って普通に気持ちの良い人達だったのに。男女の関係になるかはともかく、人脈は広くしておいて損はないのに。


「我ながら何であいつのことであそこまでキレたのか分かんない……マジごめん……ホント悪酔いしてたとしか思えない……」

「いやウーロン茶しか飲んでなかったでしょーよ」

「場酔いしてたとしか……」


 ごめんごめん、と呟き続けるがいい加減哀れになってきたので、由美は溜め息一つついて許してやることにした。彼女としても今回の合コンはあまり乗り気ではなかったので、用意したものを壊されたのが業腹だっただけなのである。


「ま、いいけどね。代わりに今度美和子を合コンに参加させるの手伝いなさいよ」

「それかなりの苦行だよね!? ……うん、はい、やります、やらせて頂きます」









 ――ということを、は現在長々と降谷零に愚痴っていた。


「おまえのせいだ……私の人生プランが狂ったのは九割おまえのせいだ……おまえさえいなければ主席は私だったし警視庁勤務になんてならなかったし従弟は行方不明になんてならなかったしそもそも私は一課じゃなくて二課希望だったのに!」

「……残り一割は?」

「仕方のない、避けようのない不運よ」


 そう言い切って、は一気にカクテルを呷った。
 グラスが空になったと見るや、ウェイターに「おかわり!」と叫ぶ。ただの酔っ払いだな、と降谷はバレないように溜め息をついた。


「おまえ確か今日非番だったろ」の一言だけの電話でバーに呼び出されてみればこれだ。確かに非番ではあったが、自分には他にも色々とやるべきことがある。腐れ縁の女に割けるような時間はない――ないのだが、どうしてか降谷はここにいる。

 二人が飲む場所は昔から変わらない。映画のタイトルをカクテルに名づけるバーだ。土曜の夜ということもあってか、そこそこ客が入っている。

 は普段リキュールをベースにしたカクテルを好んで飲むが、今日に限ってはジンなどの強いベースを多く飲んでいるあたり、よほど鬱憤が溜まっているらしかった。


「……どうせならバーボン飲めよ」

「あん? なんか言った?」

「別に」


 ばっさりと切り捨てて、降谷も新しいカクテルを頼んだ。

 私服にサングラス、帽子も着用している。この格好では向かいの女以外自分のこと判別できる人間はいないし、万が一監視がついていたとしても撒ける道のりを辿ってきた。己のことを「おまえ」や「アンタ」呼びしかしない女に普段はイラつくものだったが、こういうときに限っては名前を呼ばれないことはありがたかった。……そもそも、が呼び出さなければこんな気を使わなくても済むのだが。

 もしやこいつ僕以外トモダチいないのか、と降谷が遠い目になったところで、またが口を開く。


「何もかもアンタが悪いのよ……アンタが面も良いし付き合いも良いしガタイも頭もセンス良いし女の扱いもうまいし甲斐性だってあるから……他の男がただの家畜みたいに見えてくるのよ……」

「……、相当酔ってるだろ」

「よってないぃ」


 これが酔っていなくて何だというのか。彼女が自分のことをここまでべた褒めするなんて、出会った当初以来だ。普段はその正反対のことか、もしくは石みたいに黙然とするしかない。

 ……そう分かってはいるのに、どうしてこうも嬉しいと感じるのか。

 知らず降谷は微笑んで、グラスを揺らす。カクテル越しに見える酔いどれ女の仕草一つ一つがやけに可愛らしく見えた。


「いま僕、でかい事件ヤマ抱えてるんだよ」

「アンタ、それ警察庁に入ったときから言ってるわよ」

「仕方ないだろ、本当にでかいんだ。……だけど、もうすぐ解決しそうでさ。だから」


 だから、と降谷はもう一度呟く。
 カクテルを飲んでいるというのに、喉が渇いた。緊張か、と胸中で笑う。

 向かいのは不思議そうに首を傾げて、降谷の言葉を待っていた。


「――だから、そうなったら、僕と、」




 ごん、と鈍い音が店内に響いた。




 降谷だけでなく、周囲の客やウェイターにも聞こえるぐらい大きな音だった。それを奏でた本人は、頭をぶつけた痛みも恥も投げ捨てたらしく、机に縋りつくようにしてだらしない表情で眠っていた。

 つまりは、降谷の言葉を最後まで聞くこともないまま、寝落ちしていた。


「………………」


 うにょーん、との頬を引っ張る降谷。

 彼女に起きる気配はない。何やら良い夢でも見ているのか、えへえへと笑っていた。

 何故だかひどく疲れてしまって、降谷は隠すことなく溜め息をついた。彼女の頬を引っ張る手を放し、頬杖をついた。こういう女だ、こういう女だと分かっている、数年前から分かっている。

 唯一分からないことは、どうして自分はこんな女が好きなのだろうということだ。



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