決戦前夜
私やマシュがバーサーカーの彼と話しているとき、セイバーのランスロットはとても顔をしかめている。
端正な顔立ちの下では、いったいどんな感情が渦巻いているのだろう。ドロドロしているのか、キラキラしているのか、そんな言葉では言い表せないものなのか。皮を剥いで見ることも令呪があれば不可能ではないし、ヒトならざるものである彼はその程度では死にはしないだろうが、好感度が著しく下がるだろうから、私はずっと我慢している。
「――マスターは。アレの存在を許容するのですか」
マシュと覚束無いながらも言葉を交わす狂戦士。
彼らを食堂の片隅で眺めていたら、剣士は私の向かいに腰を下ろして、そんなことを言った。
エミヤが剥いてくれた林檎にフォークを突き刺し、それを口へ運ぶ。
「ランスロさんはホント面倒だね」
「……申し訳ありません」
「責めてるわけじゃないよ」
そして。私が面倒というのは、そういうところだ。
彼は生真面目で、騎士という存在を体現しているような性根で、こんな私マスターにも従ってくれる当たりサーヴァント。だけどその実、生真面目故に己の側面を受け入れられない。受容してしまえば、尾籠な部分を直視することになるから。ああ、なんて人間らしい!
「カルデアの召喚って、縁がある英霊以外にも人理焼却に反対する英霊が召喚できるんだよ」
「……えぇ。他ならぬあなたがそう望みましたから」
「ランスロさんは知らないだろうけど、私、ランスロットとはそう縁があるわけじゃないんだ」
「……それは、マスター。どういう、ことですか」
「言わなきゃ分かんない?」
何を話していたのかは分からないけど、マシュと狂戦士は話を終えて、どこかへ歩いていった。狂戦士は剣士の背後を通り、薄暗い霧のようなものを撒きながら、何処へと去っていく。
「キャメロットで会ったけど、アグラヴェインとの縁は辿れない。獅子王との縁も辿れない。――たぶん、彼らという存在は、どこかで人理焼却を許容しているのかもしれない。だからそれに抗う私に協力してくれない」だけど、と林檎にまたフォークを刺した。「カルデアにいる英霊は、私なんかに協力してくれるサーヴァントばかりだ。色んなヒトがいるけど、そういう共通点があるんだよ」
剣士は黙して答えない。
彼とて、答えが欲しいわけではないのだろう。私の知るランスロットという男は、答え程度なら一人で見つけられる。愛した女を救う答えは、結果として国を滅ぼした。それぐらい、彼は一人で完結した人間だ。
……たぶん、それがいけなかった。彼は一人なのに強すぎた。人間は一人では生きていけないのに。
「認められないだろうけど、ランスロットはそんなに悪い奴じゃないよ」
最後の林檎を食べた私は、空になった皿を持って腰を上げる。
今日も今日とて、モードレッドは微妙な顔でリリィとオルタとオルタさんとサンタを見ている。
真名をアルトリア・ペンドラゴン。一般的にはアーサー王として知られる彼女は、どうしてか他の英霊よりも召喚される側面が多い。辿れる縁には水着姿もあったような気もするしで(うちにはいない)、アーサー王という英霊の座は現代の魔境なのかもしれなかった。
それぞれ異なる側面ということは、要は違う性格の自分が沢山いるという状態なのだが、彼女らは自己嫌悪で相対することもなく、驚くべきことにそこそこ悪くない関係を築いている。このカルデアで初めて最高レベルの霊基で召喚されてくれたモードレッドは、いつもそんなアーサー王たちを微妙な顔で見つめている。
「モードレッド、モードレッド」
「何だよマスター」
「明日にはソロモンのところに乗り込むわけですが、いまの心境は?」
「何でおまえは俺の知ってるアーサー王を呼べないんだよ」
「ごめん」
私は剣士のオルタさんをじっと見て、モードレッドに掌でそれを示す。
「惜しくない?」
「全然違う」
俺の知るエクスカリバーはあんなに黒くない、と彼女は頬を膨らませた。
そっかぁ、と私はモードレッドの隣で林檎を齧る。
アーサー王にも色々あるものだ。モードレッドの知るアーサー王に、いつか出会えるといい。
召喚室に石を持ち込もうとしたところを、オジマンディアスに見つかった。
彼は無言で杖でとんと床を叩いた。即座に彼の呼び出しに応じたスフィンクスが私の魔術礼装の首根っこを掴み、そのままオジマンディアスの目前に吊るされる。
「申し開きぐらいは聞いてやろう」
「わあファラオ優しい。ところでファラオ、これ苦しい」
「禁則事項を破った罪人がその場で殺されないだけ、ファラオの寛容さに感謝せよ」
「流石っすファラオパねえっす」
諦めて、握りしめていた召喚石をオジマンディアスに差し出す。
彼は回収したそれを確かめると、うむ、と頷いた。また杖で床を叩く。スフィンクスは霧と化して姿を消し、私は惨めな形で落下した。べしゃ、という感じ。
「誰を呼ぶつもりだったのだ?」
わざわざ足を折って、オジマンディアスは私と目線を合わせた。呆れた顔をしている。
「……メイヴ、ちゃん」
はあ、と彼は露骨に溜め息をつき――容赦ないヘッドロックを掛けてきた。
「あば、ばばば! ギブ、ギブですファラオ! っていうかどこで習ったのそれ!」
「ふはははは、ファラオに不可能はない! 先日来た南国女神に教わったのだ!」
「何やってんの星5ライダー組!」
「余も女神も征服王もいるであろうに、まだライダーの戦力を欲するのか貴様は!」
「それはそれ、これはこれなんだよぉ!」
エミヤ、と。
私一人しかいない廊下で呟いてみる。
前と後ろから同時に「何だい」「何か」と返事があった。彼らも現れた相手にすぐ気づき、所在なさそうに揃って肩を竦める。私は笑って、壁に背を預け、二人を代わる代わる見る。
「――二人共、いると思った。何かあるときは絶対そうだもの」
「……警戒は大事だ」
「アサシンの言う通りだ。ソロモンが何か仕掛けてくる可能性はゼロじゃない」
「そりゃそうなんだけどさぁ」
こんなときぐらい、彼らも好きにしていていいのに。
明日には全部終わる。ハッピーエンドか、バッドエンドかは分からないけど。
……いや、もう終わっているのかな。終わっているから、彼らに付き合ってもらってまで、足掻いているのかもしれない。終わっているけど、まだ諦めたくなくて。
「どうしようね。勝てなかったら」
「負けるつもりなのか?」
「まさか」
アサシンの問いに、笑ってかぶりを振る。
私が折れたら、本当に終わってしまう。それだけが確かな真実。
だから走ってきた。燃え盛る町から始まり、竜の魔女に抗い、レフを追ってローマへ、神々が跋扈する海を渡り、毒の霧煙る街を抜け、広大な大陸を横断し、女神の裁定に否を突き付け、神代すらも越えて。
私一人だったら、たぶんどこかで挫けていた。きっと、どの特異点も元に戻すことはできなかった。それでもここまで生き抜いてしまったから、もうとことんまで走るだけだ。
助けられなかったヒトがいる。
助けられたヒトたちがいた。
認めてくれなかったヒトがいる。
認めてくれたヒトがいた。
認められなかった存在があった。
記録に刻まれなかった記憶が、私の背中を押している。
「どこかへ行くなら、今の内だよ?」
「たわけ」「そんなこと、きみは許さないだろう」
「よく知ってる」私はにやりと笑う。「ここまで来たら、みんな道連れだよ。逃がしてなんかやるものか」
それでいい、と赤い彼らは分かりづらい笑い方をする。
よく似ている。彼らの在り方は、報われない私に――彼ら自身に。
「行くのかい? マスター」
「うん。そろそろ、準備ぐらいしなくちゃね」
「本音は?」
「……行きたくない」
「はは、正直で大変結構」
「怖い。人理とか正直分かんない。死ぬかもしれない。今までだってたくさん、たくさん怖かった。どうして私だったの。私以外でもよかったんじゃないの」
「教えてやろう、マスター。おまえの役目は、たまたまそうなっただけだ」
「……たまたま」
「そう。たまたま、偶然、タイミングが重なった。別におまえじゃなくてもよかった。ただ、おまえだけが、あのとき、その位置に立てた」
「――酷いよね、そんなの」
「あぁ、酷い。とびきり残酷だ。――だけどな、マスター。それって案外、すごいことかもしれないぜ? 自分だけが人類を救えるなんて、どこかの正義の味方が聞いたら嫉妬案件だ。一躍ロックスターになれるかもしれないな!」
「……ふふ、何それ。意味分かんない」
「あぁ。実は俺も解らん」
でも、何となく覚えているんだ、と彼は笑う。
椅子に座る彼を見て、私は告げる。
「――行ってきます。アンリ・マユ」
「行ってらっしゃい、人類最後のマスター」