逢瀬





 教会の朝は早い。

 五時半に起床。
 重い瞼をこじ開けながら、暖房器具に火を点す。顔を洗ったところで、神父が中庭で修練を始め出す。

 いつもならこの辺りでギルを起こすのだけど、最近彼は教会に帰ってこない。以前も朝帰りすることは珍しくなかったが、こんなにも長期的に留守なのは初めてだ。
 ──先日、ランサーと捜索した結果も芳しくなかったし。

 朝の参拝を終えて、台所に入る。窓から差し込む日光で程好く照らされていて、照明を点ける必要はなさそうだ。
 昨日から仕込んでおいたタネがしっかり熟成されているのを確認し、満足に頷いたとき──

 ──窓が音を立てた。

 気のせいかとも思ったが、窓はリズムよく音を立てる。影が見えないあたり、石か何か投げ付けられているのだろうか。子供の悪戯ならば叱らねばなるまい。私は引き出しからお玉を取り出した。

 窓を開ける。
 そして音を奏でる筈だった小石を、お玉で打ち返した。

 窓から身を乗り出し、射線上に声を投げ掛ける。木々がある方向だった。


「此処は教会ですよ。騒ぐのなら他所でどうぞ」

「これは失礼。あまりにも返事がないものでね」


 聞き覚えのある、低い声。

 はて誰だったかと私が首を傾げていると、それは姿を現した。その寸前、がさりと葉が揺れた箇所からここまで数メートルはあるのだから、たった一歩でそれを埋めないでほしい。

 赤い外套を羽織った、褐色の男性。


「……貴方は──」

「自己紹介がまだだったな。私はアーチャー」

「……サーヴァントが私に何の御用ですか?」

「いや何、簡単なことだ」


 アーチャーがふ、と薄く笑う。何かを嘲笑うような、誉め称えるような、そんな意味深長な笑い方だった。


「逢い引きの誘いだよ」




   








 逢い引き。
 また古めかしい物言いだこと、と私はいっそ笑いたくなった。

 凛のサーヴァントが私に害をなす理由はたぶんないし、彼女がそれを許すとも思えない。ならば何か目的があるのだろうが、いっそ利用してやろうという心意気で、私はアーチャーの誘いを受けた。

 ──わずかに痛む良心を見ないことにして。

 私たちは一度別れ、新都でまた会うことにした。
 アーチャーと共に教会を出ていく場面をランサーやギルに見られたら──なんて、想像しただけで恐ろしい。

 待ち合わせ場所に佇立していたアーチャーは、先程までの赤い衣装ではなく、黒を基調とした現代風の姿になっていた。あの格好で彷徨かないだけの良識はあるのか、と私は胸を撫で下ろす。

 さて。
 贔屓を抜いても、彼の容姿は人目を引くものだ。周囲の女の子の視線を一身に浴びていた。実に近付きづらい。

 どうしたものかと二の足を踏んでいたら、アーチャーの方から私に近付いてきた。


「……待たせました?」

「いや、いま来たばかりだよ。……ふむ、シスターの服装もなかなか似合っていたが、その格好も悪くない」

「それは、どうも」


 ……カップルみたいな応酬に鳥肌が立ってきた。
 くわえて、女の子たちから向けられる殺意に、背筋がぞわぞわする。

 溜め息をつくのを堪え、私はアーチャーに訊ねた。


「それで、アーチャー。貴方、どこか目的地は?」

「──……きみは、私の話を聞いていなかったのか?」

「は?」


 アーチャーは大いに遺憾だといった表情で腕を組んだ。


「逢い引きだと言った筈だが」


 ……おい、まさか本当にそのつもりだったのか?




   





 とりあえず私の買い物に付き合わせることにした。無償で美形の荷物持ちを引き連れている、と考えればそう悪いものではない。

 服屋、雑貨屋、ゲームセンター(彼はやたらシューティングゲームが上手かった。流石アーチャーといったところか)を回った頃には、昼時だった。

 公園で私手製の弁当を取り出し、蓋を開ける。


「──もういいですよ、アーチャー」


 我ながら会心の出来である中身は、アーチャーから見てもなかなかのモノであったらしい。しばらく中身を見つめていたアーチャーは、私の言葉に反応するのがやや遅かった。


「……何がだね?」

「無理して私に付き合わなくて、といいますか。私が付き合わされた形になるのでしょうけど」


 私たちはベンチに座っていた。間に弁当を挟んで、互いの顔も見ずに話す。

 アーチャーに箸を渡しつつ、私は続ける。


「誰に凛を取られたんです? 柳洞くんは凛に興味がある方じゃありませんし、間桐くんは欄外。彼女の友好関係は広いようで狭いですから、セイバー……いえ、衛宮くんあたりでしょう」

「…………」

「アーチャー。貴方、凛とそっくりですね。ポーカーフェイスが下手なところ」


 アタリ、と。

 まあたまに凛は読み取れなくなるのだけど。
 その辺は、やはり凛も女ということだろう。

 アーチャーは頂こう、と手を合わせた。やや遅れて、私もそれに倣う。
 私たちは箸を伸ばしつつ、互いの腹を探り合う。


「凛への当て付けなら、私以外の女の子にした方が効果的でしたね。彼女は私に恋愛に対する興味がないことを知っていますから」

「……ふむ。次回の参考にするとしよう。しかし、興味がないとは?」


 きみぐらいの女子なら、誰もが愛だ恋だと宣うものではないのかね──などと、アーチャーは偏見極まりない言葉を吐いた。

 それに対して怒ってもよかったのだけど、次回以降私が巻き込まれない方向へ話を持っていく方が良さそうだった。


「俯瞰で考えてしまうんですよ」

「……俯瞰?」

「例えば、私とアーチャーがお付き合いしたとしましょうか」我ながら気色悪い例え話だ。「それから、何をするんです?」

「──何、とは」


 私はようやく顔を上げた。目を見開き、戸惑うアーチャーの顔が目に入る。私の言葉をうまく飲み込めていない様子だった。


「手を繋ぎますか? それからキスをして、愛の言葉とやらを囁き合って、まぐわりますか?」


 唐揚げを咀嚼してから、私は言の穂を接げた。


「解らないんですよ。それにどんな意味があるのか」

「……一般的ではあるが、意味を求めるのが間違っているのではないか。そうしたいと思うから、そうするのだろう」

「意味がないのだとしたら、私が恋愛をすることは未来永劫ありませんね」


 ごちそうさまでした、と手を合わせる。


「私、無意味なことは嫌いなんです」


 ──だから私は、自分のことが何より嫌いだ。

 アーチャーは黙考の末、「そうか」と呟いた。神妙に視線を上げ、口を開く。


「ならばきみが凛を贔屓することには、意味があるのか」

「─────」


 ──返す言葉に悩んだ。

 私は遠坂凛を贔屓しているつもりはなかったし、だからアーチャーからそう指摘されたことに驚いた。けれど言われてみれば、確かに彼女を特別扱いしているように思う。だがそれは遠坂凛が私の幼馴染みだからで────本当に?

 本当に──それだけなのか?


「と──当然です。私は無意味なことが嫌いなんですから」

「……そうか」


 そうか、とアーチャーは噛み締めるようにもう一度呟いた。



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