きみの名前で誰かを呼ぶ






「────さん?」


 どうしてと募る不信感と、間違いないと確信する心を入り混じらせて呼びかけた。

 霊基きろくに刻まれた背中が翻る。

 服も、髪型も、あのころとはまるで違ってしまっているけれど。彼女の顔と声を、気配と雰囲気を、この坂本龍馬が見紛う筈もない。

 彼女はあの頃と何一つ違わない仕草で振り返った。どこかへ持っていくつもりらしい書類の束を胸に抱えたまま、お竜を連れた坂本を目に留める。


「そうですが」


 彼女は淡々と肯定し、


「……どうして英霊あなたが私の名を?」


 当然の疑心。彼女は現代いまを生きる人間。坂本はとうにその役目を終えた、抑止の守護者。一方はカルデアの一職員、一方は座に刻まれた英霊。そんな両者に接点などある筈もなく、彼女が目を眇めるのも道理であった。

 けれど───否、故に。
 その、いかにもな疑問に、ぐきり。坂本の中でなにかが挫かれた音がした。

 至極当然の疑問をぶつけられた坂本が呆然とする様を、傍らのお竜がふよふよと浮かびながら不思議そうに眺めていた。










「あぁ、あの女か。確かにに似ちゅーなぁ」


 食堂でうどんを啜っていた岡田以蔵に先日の顛末を一部始終語り聞かせると、そんな言葉が返ってきた。

 彼の向かい側で蕎麦を食んでいた坂本は思わず顔を上げる。その隣ではお竜が豪快にカエルの丸揚げを呑み込んでいた。


「だよね!? 僕の気のせいとかじゃないよね!?」

「わしはおまんより早うに、此処に来たときから気付いちょったわ。むしろ、あんな瓜二つをいままでどうやって見逃しちょったか教えてほしいもんじゃ」

「ぐ。……仕方ないだろ、本当にいままですれ違いすらしなかったんだから……」


 偶然といってしまえばそれまでの理由。決して広くはないこのカルデアだが、役目と場所の違いから、坂本は未だ顔を合わせていない人物も少なくない。部屋に引き籠りがちな英霊、有数の技術からいまや引っ張りだこになった職員、単純に他人に会いたがらない性格の者……まあ、理由はそれぞれだ。有事の際は一致団結する、というダヴィンチから与えられた条件を呑むことで、彼らは勝手を許されている。

 彼女も、そんな勝手を許された中の一人だ。日頃は管制室に籠り切り、来る魔術協会への弁明の日に少しでも有用な答弁ができるよう苦心しているらしい。


「────ま、所詮別人ちや」


 岡田の素っ気ない一言に、坂本は思わず目を丸くした。


「……え」

「わしらの知っちゅーあいつに異国の血は混じっちょらん。だが、あの女は半分ばあ混じっちゅー」


 確かに、彼女は日本人と欧米人の混血らしいと後から聞いた。

 でも、そんなものは言われなければ分からない。もし彼女が日本の地を歩いていたら、即座に混血と見抜ける者はそうそうおるまい。髪だって目の色だって、日本人のそれだ。

 半分程度の血がなんだ、と蕎麦を食べる手を止めた坂本をチラリと見ただけでこちらの内心を読み取ったのか、岡田はうどんを啜りながら「半分違う」と言葉を転がした。


は魔術師じゃなかった。わしらみたいに英霊にもなっちょらん。あいつは最後の最後までただの人間やった。だが、あの女は魔術師じゃ」

「……でも、そっくりだよ」

「顔だけや」


 じゃない、と岡田は頑として首を縦に振らない。


「現にあの女はわしらのことだって分からんじゃろ」


 そこを突かれると痛い。彼女から向けられた当惑の目を思い出してしまう。

 坂本は反論が思いつかなくなって、「そうだね」と縦とも横とも判然としない方向に首を振った。ずるずる、と蕎麦を啜る。蕎麦は彼女の好物だった。










「あれ、さん?」

「きゃぁっ!?」


 後ろから掛けられた声に驚いて、肩が跳ねた。知らず、脚立に乗っていた全身の重心がずれる。そのまま危うく背中から倒れ込みそうになったところを、声を掛けてきた者に支えられた。


「ご、ごめんなさい。そんなに驚くとは思わなくて」


 背中に手を回してきた藤丸立香もに負けず劣らず驚いた顔をしていた。『そんなに驚くとは思わなかった』という言葉は真実だ、とその表情では悟る。もとより、藤丸に下手な虚偽が出来るとも思っていないのだが。

 管制室のミーティングで顔を合わせるのはお互い日常茶飯事だが、こうして資料室で二人きりとなると、初めてのことだ。多くの書架に囲まれた空間には、幸か不幸か、いまはと藤丸しかいなかった。


「いえ、こちらも大袈裟でした。すみません。助けて頂いてありがとうございます」


 謝りながら、体勢を立て直す。倒れそうになったときに手放してしまった本は床に転がっていた。それを拾い直して、表紙についてしまった埃を払っていると、カルデアで現在唯一のマスターからじっと見つめられていることに気付いた。


「……私が管制室を出てるの、そんなに珍しいですかね」

「え。あ、いや、そういうわけじゃ……うん。ちょっとだけ」


 申し訳なさそうに頷かれる。やはり、藤丸に虚偽は向いていない。


「大丈夫です。事実ですから、それになにか思ったりはしません。私自身、珍しいと思います」

「その本、坂本龍馬の資料……だよね?」

「はい」


 が素直に肯定すれば、藤丸は「どうして」と訝しんだ。辛うじて声には出ていないが、顔に出ているので同じことだろう。


「……先日、少し話しまして」

「え。坂本さんと?」

「はい。それで、彼は私の名を知っていました。なのに、私は彼については何も知らなかったものですから、それがなんだか申し訳なくて。せめて次に会うときは、前より失礼のない対応をできるようにと」

「あー。なんか分かるかも。英霊あいてに一方的に知られてると、ちょっと申し訳なくなりますよね」


 数々の特異点を巡り、数多の英霊と縁を結んできたマスターが言うと説得力が違う。けれど、そんな立派な経歴に反して、うんうんと同調してみせる藤丸の姿は依然年齢相応の柔らかさを保ったままだったから、は知らず相好を崩していた。


「そういえばさんって、お母さんが日本人なんですよね?」

「はい。ですが生まれも育ちもヨーロッパなので、日本の地を踏んだことはありません」

「あ、そっか。じゃあ坂本龍馬については、あんまり?」

「葛飾北斎や織田信長ならたまに聞きかじった経験もあるのですが……」

「なるほど。それで」


 一頻り質問して、藤丸は一応の納得を手にしたらしい。また一人で頷いている。とりあえず、管制室の住人であるが資料室くんだりまで足を運んだ理由は分かってもらえたようだ。


「────そういえば」


 今度はが質問する番だった。


「私の名を坂本龍馬に教えたのは、藤丸ですか?」


 藤丸はキョトンとした顔をした。ややあって、自分を指差しながらふるふるとかぶりを振る。自分ではない、と身振り手振りで表現したようだ。


「じゃあ、ダヴィンチでしょうか」

「うーん、どうだろ。ダヴィンチちゃんと坂本さんが話しているところってあんまり見たことないから、なんとも言えない……」

「……確かにあまり馬の合うタイプには見えないですね、あの二人」


 しかし、そうなると。いったい誰が坂本龍馬にの名を教えたのか、甚だ不思議であった。

 と坂本龍馬は、彼が話しかけてきた先日が真実初対面である。それ以前からは坂本龍馬召喚の報を知らされてはいたが、顔や特徴など細かいところまで伝えられたわけじゃない。坂本だって、カルデアの一職員に過ぎないを詳しく知るタイミングは無かっただろう。お互いあのときまで、顔と名前が一致しなかった筈だ。

 なのに、どうして坂本龍馬は自分の名前を知っていたのか。
 それも────あんな懐かしそうな響きで呼びかけて。


「……藤丸。坂本龍馬に読心の宝具等はありますか?」

「そういうのはなかったはず、です」


 仮にもマスター契約を果たしている藤丸が言うのだから、見当外れな意見ではない。


「……ですよね」


 藤丸が来るまでに資料室で何冊か坂本龍馬についての文献を読み漁ってみたが、読心・記憶諒解に類する逸話はなかった。当時では抜きん出て先見の明があったことは分かるが、それにしたって初対面の相手を知れる解釈になる道理はない。……いや、英霊ならばそういうこともあるのだろうか。

 は抱えていた本を書架に戻した。


「では、藤丸。私はこれで失礼します」

「お仕事お疲れ様です」


 ぺこりと頭を下げた藤丸に見送られ、資料室を後にする。

 参考になるかと資料を閲覧してみたものの、はたして疑問は疑問のままだった。坂本龍馬についても十分な知見を得られたとは言いづらい。だからといって一つの疑問にいつまでもしがみついていられるほど、に十全な余暇が与えられているわけでもない。いつだってやるべきことは目白押しだ。

 いまのに出来るのはせいぜい、次に坂本龍馬に会ったときは以前よりマシな対応ができますようにと祈ることぐらい。







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