向日葵の面影






「おい。シミュレーションルームってどこちや」


 背後から投げられた、不意打ちの問いかけ。

 それを向けた方はいいだろうが、向けられた方は災難に他ならない。質問が耳に届くまで、これといった気配もなかったのだ。人気のない廊下を一人で歩いていたと思ったのに、いきなり声を掛けられた驚きたるや、心臓を跳ねさせるには十分過ぎる。


「ひっ」


 が怯えながら振り返った先では、先日藤丸立香の召喚に応じたアサシンのサーヴァント────岡田以蔵が所在なさげに頭を掻いていた。直接対面したのはコレが初めてだが、もデータとして確認していので見慣れぬサーヴァントだとたじろいだりはせずに済んだ。

 ゴルゴーンのような明らかな異形よりは、まだ人型を保っている岡田の方が人間として安心感を抱ける。サーヴァントとしての能力は視覚だけで測り切れぬモノではあるけれど、それでも。目に見えぬ恐怖に怯んでいたは彼を認識してホッと息を吐くが、岡田はそれより前に彼女から目を逸らしていた。


「べつに取って食うたりせんわ」


 岡田は言い訳のように一人ごちて、


「それで。シミュレーションルームってどこちや」

「シミュレーションルームなら、この先の角を右に曲がってしばらく歩けば、部屋名が書かれたプレートが見えてくるかと思います」

「そうか。あんがと」


 ぶっきらぼうに礼を告げた岡田は、そのままの横をすり抜け、先へ行ってしまった。せっかく現界したのだから、と霊体化を好まない英霊サーヴァントは少なくないが、岡田以蔵もその類なのだろうか。段々と小さくなって消えてしまうまで、彼の足音はしばらくの耳に届いていた。やがて、聞こえなくなる。

 カルデア内部は決して広大ではないが、複雑でもある。召喚されたばかりのサーヴァント、召集されたばかりの新入りが道に迷うのはよくあることだ。とて、配属されたての頃は頻繁に迷った。だから、岡田以蔵が道を尋ねてきたのも詮無いこと。

 未だ忙しない心臓を大人しくさせようと、は服の上から胸に手をやる。

 ────大丈夫。藤丸立香と契約したサーヴァントは人間以上の存在ではあるが、みだりにチカラを振りかざしたりはしない。藤丸と契約したサーヴァントはカルデアに協力する意思を示した英霊だ。聞かれたことにだけ答えていれば、興味関心は買えないが、下手な反感を買うこともない。今までだって、そうやって上手くこなしてきた。

 大丈夫。自分は岡田以蔵の問いに間違いなく答えてみせた。大丈夫、大丈夫。

 何度目かの深呼吸を終えて、はようやく歩行を再開した。

 今日、岡田以蔵に遭遇したのはたまたまだ。どうせは日常的に管制室に引き籠っている。また偶然彼と顔を合わせることはあっても、その頃には道を尋ねられたりはしまい。










 ────はそう思っていたのだけど、現実は何故か彼女の期待を裏切った。


「おい。ダヴィンチの工房ってどこちや」


 やはり、人気のない廊下。
 背後から投げられた問いかけに、は恐る恐る身を反転させる。

 アサシンのサーヴァントというものは、誰も彼も岡田のように気配を消して近付いてくるものなのだろうか。同僚の話によれば、ヘンリー・ジキルやシャルル=アンリ・サンソン等の面々はそうでもないらしいのだけど、その二人と直接顔を合わせたことのないには今一つ判断がつかなかった。

 二度目ともなれば相応の耐性が出来ていて、以前のように悲鳴を漏らしたりはしなかった。失礼に当たらないよう、見せかけだけでも怯えをひた隠し、事も無げに説明する。


「ダヴィンチちゃんの工房でしたら、ここから真逆の方向にあります」

「……そうか」


 ぽりぽり、と失態を誤魔化すように岡田が頭を掻いた。

 もしかして、とは好奇心と親切心に突き動かされて問いかける。


「あの、道が把握しきれていないのでしたら、ご案内しましょうか」


 少しだけ、微妙な間が空いた。


「かまんき。一人でえい」


 岡田が踵を返し、すたすたと歩き去っていった。角を曲がって、姿が見えなくなる。まもなく足音も途絶えた。

 やっぱり、英霊相手にお節介な申し出だったんだろう。慣れないことはするものじゃない、とは微かに肩を落とした。

 歩行を再開させる深呼吸の数が、今回は以前より少なくて済んだ。










「以蔵さんズルい!」


 職員、サーヴァントの両方が入り乱れて賑わう食堂で、坂本龍馬はそう叫びながら岡田の前に腰を下ろした。坂本の隣には、するすると付き添ってきたお竜が当然のように座る。彼女の手元には、カエルが目一杯詰め込まれたバケツが握られていたので、岡田はそっと視線を逸らした。

 坂本の叫びが結構な声量だったが、後方でルーラーとアベンジャーの一団がガヤガヤと騒いでいたこともあって、食堂を席巻するまでには至らず、目の前でぶつけられた岡田が“うるせぇなコイツ”みたいな顔をしただけだった。


「なにがじゃ」

さん────じゃなくて、さんだけどさんじゃない彼女のことだよ!」

「ややこしいんじゃが」


 坂本が言わんとしていることは、なんとなく分かるけれど。だからといって素直に「あいつのことか」と納得してやれるほど、岡田は大人でもなかった。とくに相手が坂本となれば尚更だ。

 岡田が日替わり定食に箸をつける間も、坂本の口は止まらなかった。


「彼女が管制室から出る度に以蔵さんがこっそり話しかけてるの、僕知ってるんだからね!」

「別に隠しちょらんし」

「ひ、開き直り……!」


 坂本は岡田と同じ日替わり定食を頼んだらしい。二人の御前は漬物に至るまで同一だった。


「僕には『所詮別人だ』なんて言ったくせに、自分だけ話しかけるなんてズルいじゃないか! 僕はああそうだよな別人だしな、って真に受けて、消沈しつつも距離を置いたっていうのに!」

「道を聞いただけや。われが思うちゅーような疚しいことは何もしちょらんぞ」


 そこで口を挟んできたのは、坂本の隣でカエルをジュースみたいに丸呑みしていたお竜だ。


「何十回も道ばかり聞くのか。ナメクジは頭までナメクジなんだな」


 岡田が鋭い睨みを差し向ける。しかし、お竜はまったく意に介さぬ様子でカエルをぱくりとくわえた。

 一拍、食堂の騒々しさだけが三人の間を通り抜ける。


「────それで?」


 坂本がにっこりと笑っていた。

 見目麗しき笑顔ではある。しかし、強烈な圧力を伴った笑顔だ。下手な睨みよりもずっと威圧感がある。


「あのさんと話して、以蔵さんはどう思ったの?」

「……どうもこうもないろ」


 岡田はややうんざりと吐き捨て、箸を持つ手を止めた。


「別人や。顔も仕草も瓜二つやが、それだけじゃ。どうしたちあいつ、、、やない。はわしに敬語なんか使わんかった」

「……そうか」


 坂本は浅く頷いて、


「じゃあ、以蔵さんはなんでさんに何度も話しかけるんだい?」


 わざわざ言わせるつもりなのか、と岡田は思いきり顔を顰めた。
 そんなもの、岡田の口から聞かずとも、聡い坂本なら薄々察しているだろうに。

 けれど、それを口にしてやるのもまた癪で、岡田はしばし黙然と沢庵を口内で磨り潰した。

 その内に待ちきれなくなったのか、坂本の方が言葉を続けた。


「まあ、そうだよね」


 小さな溜め息。


「やっぱり、懐かしいよね。さん」


 岡田は肯定も否定も発さなかった。その沈黙をどう解釈したのか、坂本がへらりと笑いかけてくる。

 バケツ一杯だったカエルをその細い身体のどこに詰め込んだのか、空っぽになったバケツを引っくり返してもう中身が無いのを確かめると、お竜が戯れのようにまた口を開いた。


「お竜さんが龍馬に会った頃には、もうとやらはいなかったから知らないんだが。そいつ、おまえらの幼馴染だったんだろ?」

「そうだよ」

「どんな奴だった?」


 岡田は依然閉口していた。わざわざ意識を傾けなくとも耳に入ってくる坂本とお竜の会話がやけに大きく聞こえた。食堂の喧騒は実に賑やかで、それに比べれば坂本とお竜の会話など微々たるものだったのに。


「どんな奴、かぁ」


 坂本がお茶を一口含んでから、しみじみと言う。


「────普通のヒトだったよ。取り立てて特徴のない、普通の元気な女の子だった」


 そう。岡田や坂本の知るという女は、本当に普通だった。

 だから、彼女は此処にいない。いられるわけがない。
 彼女は岡田たちのように座に刻まれるような偉業を成さなかったから。今の人々に言っても通じる道理のない、とっくに忘れ去られた無辜の誰か。歴史の波に飲まれて消えた、取り柄のない幼馴染。

 どうしてか、そんな奴を覚えている。顔も名前も覚えている。覚えていたところで意味もないのに、彼女の顔も声も名前も忘れていない。岡田のみならず、坂本までもが。

 もう二度と会えない彼女の存在ことを、後生大事に抱え続けているのだ。

 これを滑稽と笑わずにいられようか。






back | top |

inserted by FC2 system