「あ」

「……どうも」


 目を合わせてしまえば見なかったふりはできず、は諦めて軽く頭を下げ、挨拶した。

 相手はなにか迷っているのか、人差し指を虚空でウロウロさせる。


「え、と、嵐山の幼馴染の、えっと、」

「……です」

「そうそれ! ……悪い。忘れてたわけじゃなくて、名前をど忘れしちまって」

「いえ、気にしてません。大丈夫です」


 名前をど忘れされたことはともかく、それより手前にある印象が『嵐山の幼馴染』らしいことには多少文句を言いたい気持ちがあったけれど、言ったところで何にもなるまい。相手────柿崎国治に悪気がないのは申し訳なさそうにしょぼくれた顔を見れば一目瞭然だ。


「それで」


 は図書室のカウンター奥で座ったまま、入り口で立ち止まっている柿崎を見遣る。


「柿崎先輩は、図書室このへやに用事があったんじゃないんですか?」

「あ、うん」


 彼もこの中学の生徒なのだからなにを怖がることもないだろうに、なぜか柿崎はおずおずと入ってきた。に背を向けて、しげしげと本棚を眺め始める。たまに本を手にしては、パラパラと中を見て、やや残念そうに棚へ戻す、というのを幾度か繰り返していた。はそのあたりで見切りをつけて、彼が入室してくる前と同様に図書委員としての仕事に手をつけた。


、図書委員だったんだな」


 ふいに柿崎は言った。

 が目を上げれば、柿崎は北の本棚と向かい合ったままだった。図書室は基本的に私語厳禁なのだが、柿崎以外に利用者のいない放課後に注意を飛ばす意味もなくて、は「はい」と端的に答えた。


「本好きなのか?」

「……落ち着くので」


 匂いが、とは付け足さなかった。言いかけたのを、慌てて喉の奥に呑み込んだのだ。理解してもらえる由もない言葉を吐き出しても仕方ない。

 が本を好きかというと、実際微妙なところだった。教科書に載っている物語や題材になら目を通すが、自主的に活字に触れようとはあまり考えない。漫画なら気に入っているものを読むけど、いわゆるオタク的に何でもかんでも手を出そうとは思えない。自分のような奴が『本を好き』と発言していいのかどうか、はどうにも決めかねた。


「こう言うとアレだが、なんか、イメージに合うな」

「……そうですか?」

は大人しいから……あ、変な意味じゃないぞ。お嬢様っぽいっていう感じ」

「すごい庶民なんですけど……」

「うーん。なんかこう、空気感? 雰囲気ってやつだ」


 が「そうでしょうか」と返せば、柿崎は一冊の文庫本を手に振り返って「そうだよ」と笑った。柿崎に嫌味や皮肉のつもりはないのがよく伝わってきて、まっすぐな普通の感想だと分かったからこそ、は返す言葉に窮した。結局、いつものように「はぁ」と曖昧に濁すしかない。

 柿崎は、二重の意味で嵐山の同期だ。同じ学校の同級生。ボーダーの同期生。

 運悪く偶然嵐山と顔を合わせてしまったときにまとめて覚えられてしまったらしく、同じ中学の先輩後輩という関係性もあって、いまのように機会があればちょくちょく話す。迅よりは必然性のある間柄で、柿崎の普遍性を感じると同時に『やっぱり迅先輩って不思議だ』とは思った。


「幼馴染ってどんな感じなんだ?」

「どんな……。……漫画で見るような特別性はありませんね。相手を昔から知っているだけです」

「……存外シビアなんだな」

「まあ、家族でもありませんし。私と嵐山先輩は、ただ家が近かっただけですから」

「あぁ。隣同士なんだっけ」

「はい。それで、まあ、流れで」

「幼馴染って流れでなるもんなのか……」


 どことなく虚無感を漂わせ、柿崎は遠い目になった。

 流れ、は言い過ぎかもしれないけど。でも、合意の上で幼馴染になったような奴なんて世の中にいるのだろうか、とは思う。なんとなく、いつの間にか、傍にいた。幼馴染なんて、だいたいそんなものじゃないだろうか。

 柿崎はと話している間も棚を物色していたらしく、はたして三冊の本を手にコーナーまで近寄ってきた。何につけてもデジタル化が進むこの現代に旧態依然を地でいく貸出カードに、コーナーに設置されている筆立てからシャーペンを拝借して、些か不慣れな様子で記名していく。


「……っと。カードは図書委員に渡せばいいんだっけ?」

「はい。お預かりします」


 がコーナーを挟んで手を伸ばして三枚の貸出カードを受け取れば、


「よろしく」


 と、屈託なく笑いかけられる。

 文庫本三冊を小脇に抱えて、柿崎はそのまま図書室を出ていった。

 また、西日の差し込む図書室には当番のだけが残される。


 
 たまに話すあの先輩は、柔らかい木枯らしの匂いがする。





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