宇宙






「嵐山が、前よりが遊んでくれない、って凹んでたよ」


 冬の屋上に人気はない。ひとえに寒いからだ。好き好んで木枯らし吹きすさぶ中で食事をとろうとする物好きは、この学校では迅悠一とだけだった。昼休みが始まったばかりの中学生なんて、昼食をいかに美味しく摂るかにしか興味がないから、過ごしやすい春秋ならともかく、暑いばかりの夏や寒いだけの冬にわざわざ屋上に来たりはしない。

 屋上を取り囲む落下防止のフェンスに身を預けた迅は、笑っているのか、なにかを思案しているのか、どちらともとれない顔で焼きそばパンを引っ掴み、空を見上げていた。

 迅悠一は嵐山の同い年で、友人だ。にとっては学校の先輩にあたる。二人の共通項は嵐山だが、彼を通じて知り合ったわけではなく、気付けばの隣にはたまに迅が出没するようになっていただけだ。


「……事実だとして」


 心ばかりの風除けのため給水塔の影に隠れながら、はゼリー飲料の封を切った。


「それをわたしに伝えて、迅先輩はどうしたいんですか」

「別に。ただ友達として伝えておいてあげただけ」


 焼きそばパンを一齧りして、迅が身を反転させた。フェンスに背を凭れさせ、に目を向けて、「うわぁ」と目と口元を歪める。視線はの手元にある昼食に注がれていた。


「昼飯それ? そんなので足りるの?」

「運動部でもありませんし、十分です」


 じゅっ、と一息に飲んで。それで昼食は終了。素早くマスクを定位置に戻す。

 味もなにもあったものじゃないけれど、にはこれぐらいが丁度よかった。


はボーダー入んないの?」


 迅が焼きそばパンを頬張りながら、どこか他人事のようにそう問うた。


「小南もいるしさ。嵐山なんか、この前テレビ出ちゃったんだよ」

「知ってます。見ました。ビックリしてお茶吹きました」

「良いリアクションしたんだなぁ。それはちょっと見たかった」


 迅はけらけら笑ってから「で、どう?」と尋ねてきた。話題はそらせなかったらしい。


「……迅先輩は、それ、入学してからずっとわたしに訊いてきますけど。そんなにボーダーって人材不足なんですか?」

「そういうわけでもないけど、……いや、いまはそうなのかな?」

「わたしに聞かないでくださいよ」

「まあ、なんでもいいじゃん」


 よくはないだろ、と思ったけれど、迅相手にまともな抗弁が成功した数の方が少ない。はそれとなく溜め息をついた。


「何度も言ってますけど、わたしはいいです」

「なんで?」

「……それこそ、なんでもいいでしょ」


 はそっと迅から目を逸らした。

 ボーダーには嵐山がいるからだ、なんて。言えっこない、誰にも。

 嵐山さえボーダーにいなければ、もっと前には迅の誘いに乗っていたかもしれない。それぐらい、嵐山はに近しい場所にいる。物理的にも、精神的にも。精神の方はこれから時間をかけてどうにかしていくとしても、物理の方は行動次第でいますぐどうとでもなるから、自ら進んで近付くだなんて絶対にしない。したくなかった。

 はあの目の焼ける匂いが、本当に、それぐらい、苦手なのだ。


「……そっか」


 迅も昼食やきそばパンを食べ終えて、ビニール袋をくしゃくしゃに丸めた。


は不思議だなぁ」

「……どういう意味ですか」

「おまえがどういう選択を取ろうと、大局に揺れがない。普通、人間ってそうじゃないんだよ。未来は一人一人の選択と行動の結果によって成り立ってるから、誰しもが大局に影響を与えうる。でも、はそうじゃない。がなにをしようと、未来はなにも変わらない」

「……そうですか」


 ともすれば電波的でさえある迅の言動に今更怯んだりはしない。彼にそういう不可思議な面があるのはもう既知のことだし、鼻が曲がる嫌な匂いがしないから、迅に悪気がないのを分かっているからだ。彼はを弄ぶためにふざけた法螺を吹いているんじゃない。心底からの本音を言っていて、ただそれがいまの常識では少しおかしな形になっているだけ。形がどうであれ、それは彼の紛れもない本音だ。だから別に、はどうも思わない。それはいったいどういう意味なのだろう、と些か疑問には感じるけれど、訊いたところで理解できるとも思えなかった。


「だからっていうのも変だけど、のやりたいようにやればいいと思うよ」


 そこで迅は肩を竦めた。


「ついでに、嵐山の士気を落とさないでやってくれると、おれとしても助かる」

「そんなの、私がなにをしても変わらないでしょ」

「いやいや! がちょっと『准くん』なんて呼ぼうものなら、トリオン兵の一匹や二匹、瞬殺だよ」

「中学生にもなって年上を呼び捨てなんてできるわけないです」

「幼馴染なら大丈夫だって。それに、嵐山はきっと喜ぶよ」

「……あの人が喜んだら、また鼻がいかれます」


 鼻がいかれる、なんて迅にはよく分からない物言いで。けれどそれに思い当たる節がある程度には、彼も年を重ねていた。しかしいま口に出したところで、目の前の少女がそれを素直に受け取る未来は見えなかったから、迅は「そっか」と本日二度目の三文字を嘯いた。


「まあ、気が向いたら呼んでやってよ。これは先輩としてのお願い」

「……嵐山先輩の友人として、ではなく?」

「それはもう最初に伝えやったから」



 電波系な先輩は、底の見えない暗い空の匂いがする。





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