ループループアクセル
右を見ても左を見ても、なんなら上を見ても人、人、人。
流れを読んで動かなければ、思わぬ道へ押し込まれてしまうかもしれない。
……いまにも目が回りそうだ。
私の生まれ育った軽策荘は、言ってはなんだが田舎である。この賑やかさの爪先にも及ばない、閑静な村。そんなところから「万の商人が訪れ、千の船が往来し、百の品々が現れ、世の中の宝がここに集まる」とも謳われる璃月港にはじめて赴いた私がクラクラしてもやむを得まい。
目的地を意識して、なんとか足を前に動かす。
おじいさまに言いつけられた往生堂はもうすぐそこの筈だ。
───と。
「失礼」
凛然とした声がして、誰かに腕を掴まれる。
たたらを踏みそうになって、ぎりぎりで堪えた。
こんな田舎娘に何用か、と振り返る。
───黄昏と、目が合った。
「契約はまだ有効か」
安堵混じりの呟きが、私の耳朶を叩いた。
「然らば俺が分かるな。」
はじめて会う男性のはずなのに、彼は当然のように私の名を口にした。
がちり、と目に見えない歯車が嵌る。
ずっとずっと昔──遥か彼方の過去で結ばれた縁が再び輝きを取り戻す。
私たちの初対面は、何百回も繰り返された再会だった。
「……はい」
彼を目にした瞬間から、魂が何千年分もの記憶を思い出していた。
そのすべてを振り返りながら、私は知らず笑っている。
「お久しぶりです。今世でははじめまして。帝君」
昔々。
おじいさまが生まれるよりずーっと前。
偉大なる岩王帝君により璃月が建国された頃、一人の子どもが死に瀕しました。
子どもは、臣下の一人の家族でありました。岩王帝君から祝福を受けて生まれた、数多いる存在の一つでした。
岩王帝君にとっては、それこそ何の変哲もない命だったでしょう。
しかし子どもは恐れ多くも、どうせ死ぬのだから、と欲張りました。
「自分のことを忘れないで」
友人にも、家族にも、なんと岩王帝君にもそう乞いました。
「では、契約を」
如何なる気まぐれか、岩王帝君は子どもの懇願を呑みました。
「俺はおまえを忘却しない。対価は同条件だ。おまえも俺を記憶し続けろ」
かくして契約は成されました。
それはいまも続いているのでした。
「今世も見つけられてよかった。いまの俺は凡人だからな」
「帝君もご冗談が言えるようになったのですね」
「冗談ではない。いまの俺は凡人の鍾離だ。……だから帝君と呼ぶな」
誤解される、と不服そうに茶を啜る帝君──もとい鍾離。
三杯酔の一角で、私たちは向き合って座っていた。
彼の言葉に、私は些か目を瞬かせてしまう。
あの岩王帝君が、凡人。
私が思い出せていない間に、いったい何があったのか。
「……とはいえ、さすがに呼び捨ては……」
「構わない。凡人同士、気安くしよう」
「それこそご冗談を」
私は臣下の義務として軽く流したのだが、なぜか彼はムッとして目を細めた。
「では、鍾離様?」
「却下だ」
「……………………鍾離さん?」
「……それで妥協しよう」
よし、と茶器を手に頷く鍾離さん。
助かった。これで許されなかったら私の胃がねじ切れるところだった。
「鍾離さんはいま、」
どこで何を、と問いかけて自分の目的を思い出した。
帝君との再会が劇的過ぎてすっかり忘れていたが、私は彼に会うために璃月港に赴いたのではなかった!
思わずガタリと立ち上がれば、対面の鍾離さんにキョトンと見上げられた。
「?」
「も、申し訳ございません。急ぎの用事を思い出しまして」
用事、と彼は復唱する。
「俺よりも優先する用事か」
「大変申し訳ございません……!」
臣下として垂れる首もない。
平謝りする私をしばらく眺めたあと、鍾離さんは浅く息を吐いた。
「……いまの俺はただの鍾離だ。が急ぐというのであれば、それを止める権力はない。だが袖にされるのだから、用事の内容ぐらいは聞かせてほしい」
「わ、私がていく、し、鍾離さんを袖にするなど恐れ多い……!」
とんでもない、と勢いよくかぶりを振る。
途端、鍾離さんから全盛期もかくやという目つきで凄まれた。言い訳はいいからとっとと吐けさもなくば石食いだ、と言わんばかりの睨みであった。
「お、おじいさまの葬儀をお願いしに参ったのです! 璃月港に館を構える往生堂の堂主と親友だから、と生前よりの遺言でして……!」
「……往生堂?」
鍾離さんの雰囲気が緩んだ。瞠目したあと、フッと口元を弛ませる。
「そうか。それは仕方ない。行くがいい」
「は、はい! ありがとうございます! 会計は私が済ませておきますので!」
「では案内しよう。ついてこい、」
「はい! ……はい?」
ついてこい、と言われた気がしたけど聞き間違いだろうか。
店員に二人分のモラを渡して店を出ると、鍾離さんはまだそこにいた。
「こっちだ」
言って、私を先導するように歩き出す。
疑問を口に出そうとしたら、彼は先回りしたかのように、
「往生堂はいま俺が世話になっている場所だ」
などと平然と宣ってくれた。
「……ご冗談を」
「真実だ。……おまえはもう少し俺を真っ当に信用すべきじゃないか」
「お言葉ですが、信じているから、信じられないんです」
大通りで人に呑まれていたときとは違う意味で、眩暈がしてきた。
「……私が知らない間に、本当にいったい何があったんですか」
思わず額を押さえれば、彼は大口を開けて笑った。
「案ずるな。長い話になるが、すべてこれから教えよう」
服の裾を靡かせ、彼が振り返った。
璃月の景色を眺めていたときと同じ色で、私を見下ろしている。
「俺はまだまだを離せそうにないからな」