徹底攻勢
以前友人の趣味が『岩王帝君をモチーフに小説を書くこと』だと知った。
先日八重堂から誘いを受け、数ヶ月後には彼女の編んだ物語が出版のはこびとなるらしい。
友人が世界に羽ばたく航海は祝福に値するもの。
私も彼女の持つ繋がりとして大変喜ばしい……のだが。
「……いま、なんて?」
「岩王帝君の属性が多すぎるのにだいたい過去作に網羅されてて次回作のネタがないから助けてほしい」
───助けてほしいのは私である。
璃月港に赴く前の私なら無邪気に相談に乗れただろう。しかしいまの私は完全に思い出してしまっている。
岩王帝君をモチーフにした物語のアイデア出しに協力する、なんて考えただけで不敬過ぎて卒倒しそうだ。実際いま目眩がものすごい。
「岩王帝君の……どんな話を書いてるんだっけ」
それでも友人を無下にはしたくなくて、協力できる瀬戸際を見極めようと質問する。
「ジャンルは売れ筋の恋愛モノ。現代の少女が岩王帝君の敵の娘に生まれ変わるの。歴史を知る彼女がどうにか自分や周りが傷つかないようコメディな悪戦苦闘しているうちに、岩王帝君に見そめられて……」
丁寧にあらすじを教えてくれる友人には申し訳ないが、目眩に加えて頭痛までしてきた。忠義と友情、どちらも捨てられない私をどうかお助けください仙人様魔神様帝君様。
「ご、ごめんだけど私はそういう小説はあまり読んだことなくて……」
「だから頼ってるの! マニアなら奇天烈な発想が出て当たり前。いまは専門外の無邪気で奇抜な知恵を知りたいの!」
「無茶苦茶言うよねぇ!」
頭を抱えて、彼女との間にある机に突っ伏してしまった。どこだ、どのラインまでなら不敬に値せず済むんだ……!?
唸り始めて数分後、顔を上げた私の目は沈み切っていたに違いない。
「───三日ちょうだい。璃月港で聞いてくる」
「……聞いてくるって、誰に?」
友人はキョトンと首を傾げた。
さすがに声に出しても信じてもらえないので胸中だけで返事する。
誰って、本人に。
「岩王帝君の恋愛に関して、まだ世に出ていない話をください。不敬にならない範囲で」
思わず鍾離は口をつけていたお茶を吹きだすところだった。
数千年前より特別扱いしている相手から「話がある」と乞われ、二つ返事で承諾して万民堂で待ち合わせた。いったいどんな用向きかと思いきや、開口一番上記である。さしもの鍾離もすぐには状況が吞み込めず、数秒の沈黙を生んでしまった。
その間の観察によれば、は至って真面目な面持ち。もとより彼女は鍾離に対して無礼な態度を取りたがる性根でもない。自然、何らかの事情があったからこそのあの発言と見るべきだろう。……内容的に、時代と相手が異なれば発言自体が不敬と取られかねないことまで頭が回っていないあたり、かなり混迷を極めているようだったが。
「……それは、大変難しいな」
吹きだしかけたお茶を飲み下し、鍾離は続ける。
「岩王帝君の沙汰は事実創作を問わず、世に多く出回っている。わざわざ俺に尋ねてくるぐらいだから、それらと被ってはまずいのだろう?」
「はい」
「……俺の知る限りだが……もうないんじゃないか?」
「そこをどうにかなりませんか……!」
ひらにひらに、と頭を下げられても難しい。鍾離としても彼女の力になってやりたいのはやまやまだが、単純な知識ならともかく、こと発想においては他の凡人たちに一歩譲る身だ。鍾離の知恵をもってしても、画期的な解決策はすぐには浮かびそうになかった。
「……恋愛か……」
鍾離はポツリと呟く。知らず乾いていた喉を潤すため、また一口茶を飲んだ。
「それに該当するかは分からないが、心当たりなら一つある」
「本当ですか!?」
パッと顔をあげたの目には期待が宿っている。
その素直さに微笑を引き出されながら、鍾離は軽く頷いた。
「おそらく、まだ世に出ていない話だろう。俺の知る限り、という前置きは使わせてもらうが」
「大いに構いません! ぜひよろしくお願いします!」
は筆と紙を取り出して書き留めておく態勢を取った。
こほん、と鍾離は小さく咳払いをして、
「……岩王帝君は昔、契約を結んだ相手がいた。それは時を越える誓いだ。魂が契約に紐づいている限り、かの神は契約者を必ず見出す。はたして何年経とうと、どこにいても、どんな姿をしていても」ちらり、と上目で対面の彼女を窺う。「……そんな執着を恋情に結びつけることを、一部の凡人は好むのだろう?」
さて、どう来るか────。
鍾離の期待に対する返答は、きらきらと目を輝かせるの満足そうな表情だった。
「ありがとうございます! 友人のあらすじに副えるし、まだ世にない話……! さすが帝君、じゃない鍾離さん!」
「………………。……。確認なんだが、この話を聞いて思いつくことはあるか?」
「? 特にありませんね」
岩王帝君は数多の契約を結んでいらっしゃった神ですから、そういうことも一つ二つあったのでしょう、とニコニコ笑う。
知らず鍾離は眉間にしわを寄せていた。何千年の付き合いがある相手でも、眉をひそめてしまう短所は幾らかあるものだった。
「───おまえの話だぞ」
鍾離は溜め息混じりに言い放った。
「……はい?」
「いまのは、おまえの話だ」
言い聞かせるつもりで繰り返してやれば、の動きが目に見えて凍り付いた。鍾離はその瞳を覗き込み、しっかりと発音してやる。
「いくら岩王帝君でも、時を越えた契約などそう幾つも結べない」
「………………」
はしばらく硬直したあと、静かに紙と筆をまとめた。鍾離の視線から逃れるように俯き、両手を膝の上に置く。
「……先程のお話については採用を差し控えさせていただきます」
「そうか」
「ところで私は急用を思い出したので失礼いたしますね。貴重なお時間をありがとうございました。お礼代わりではありますが、席代は私が支払っておきますのでご安心ください」
「あぁ」
は席を立つ。
急ぎ足の彼女が横を抜けていく瞬間、鍾離は聞こえるように囁いた。
「次は、この話についておまえの所感を聞かせてくれると嬉しい」