分からないと分かりたい
───「この話についておまえの所感を聞かせてくれると嬉しい」。
他ならぬ岩王帝君の言である。拒む余地は当然なく、前前前(中略)前世からの臣下を自負する私としては身を粉にしてでも達成したい悲願となる。なる、のだが。
───「魂が契約に紐づいている限り、かの神は契約者を必ず見出す。はたして何年経とうと、どこにいても、どんな姿をしていても」
たしかに一部の凡人は、そういった行為を恋情に結びつけるのかもしれない。
でも、私は……うまくできなかった。
当事者と指されたせいもあるのだろうか。私から見たかの神は平等で、博愛で、秩序そのものだった。彼と契約を交わした凡人は数あれど、彼から特別な情を注がれた相手はごくわずか。時を越えて寵愛が継続されるなんて、私の知る限り、一人としていないはずだ。いないはずだったのだ。
それが私だと申されましても……気のせいでは? としか。
「………………」
視点を変えよう。彼ではなく、私自身に。
軽策荘の原っぱで大の字に広がっていた私は身体を転がし、晴天を拝む姿勢から、真横に在る山林を臨む形に移行する。ちょうど岩の隙間で羽を休めていた鶴が飛び立っていくところだった。
岩王帝君──もとい鍾離さんのお考えを計るなんて、一凡人には恐れ多い。彼には彼だけの、特異な思考が厳然として在るはずだ。私には鍾離さんのお気持ちなんて分かる道理がない。だから、分かることを考えよう。
私は、あの話をどう受け止めたいのだろうか。
感謝──ありがたい。
光栄──でも。
鬼胎──私は、値しない。
「……それだなぁ」
ごろん、と逆側に寝返りを打つ。
岩王帝君は特別なひと。
誰にとっても、私にとっても、世界にとっても。
傾けられる寵愛を拒む道理なんてなくて。
でも、だからこそ、それは同じぐらい特別なひとに向けられてほしい。
数千年の記憶を仔細漏らさず思い出せてしまうから分かる。
私は、特別じゃない。
今世に限った話ではなくて。彼と何度も何度も再会する数千年の間──生と死の境界線を転生の形で往復する間──私はたったの一度も、凡人以外になれなかった。
きっと、そういう形にしかなれない魂なのだ。
悲観しているわけじゃない。私は私に満足している。凡人の何が悪かろう、と胸だって張れてしまう。
だけど、なんていうか。私は選ばれてほしくなくて。他の誰かからならともかく、岩王帝君にだけはそんな真似をしてほしくなくて──こういった気持ちを、たしか友人がうまく言い表していたと思うのだが、なんだったか。
「──あ。そう、解釈違い」
私の岩王帝君は、そんなことしない。してほしくない。
私なんかを、彼の特別にしてほしくない。
それだ、と跳ね起きる。
結論は出た。
先送りにしていた分、一刻も早く彼に具申しなくては。
「嫌だ」
璃月港、万民堂。
以前の返答もかねてお食事でも、と待ち合わせたところ、開口一番の渋面を披露されてしまった。
「おまえの返事は受け付けない」
「……帝君?」
「帝君じゃない。凡人の鍾離だ」
「鍾離さん?」
「言い直しても同じだ。おまえの返事は受け付けない」
ギュッと目を瞑った彼は、子どもみたいに両手で耳を塞いだ。
「聞きたくない」
ちょうどそのとき、看板娘が本日のオススメを数皿運んできてくれた。
ぞろぞろと卓上に並んでいく、おいしそうな料理たち。
「鍾離さん、お食事が来てくれましたよ」
「…………」
いかにも渋々と両手から耳を解放して、鍾離さんはおもむろに箸を握った。
こちらの言をまったく聞き入れてくれないわけではないらしいことに安堵して、私も彼に倣って箸を手にする。看板娘は次の卓のために忙しく引き返していった。
しばらく互いに何も言わず、黙々と食事を口に運ぶだけの時間が流れた。
「──昨晩、仙術で占った」
ふいに鍾離さんが口を開いた。
「結果は……が俺を拒む、と」
私は黙って聞いている。
「だから俺は、聞きたくない」
また沈黙が生まれた。
相手は言葉を続ける気がなさそうで。私は言葉を選んでいた。
「……えと。仰る意味がよく分からないのですが……」
「俺はおまえに拒まれたくない。だから返事を聞きたくない」
「あ、そこは分かります。分かるんですけど。……なんであなたが私なんかに、そこまで気を割いてくださるんだろうと不思議なんです」
仙術なんて使えない凡人は首を傾げるしかなかった。
「私程度の存在ぐらい、どこにでもありふれているでしょう?」
向かい側に座している見目麗しい美青年が瞠目する。
思わずといった風に口を開きかけた彼は、しかし音のない息を一つ漏らして、閉口した。目を伏せ、彼にしか見えない妖精を見つけたかのようにじっと卓上を俯瞰している。そうして、また口を開けた。
「……そうだな。おまえのような存在は、この世に数多いるだろう。きっと、どこにでも」
「なら、」
「だが」私の言葉を遮り、顔を上げる。「おまえは、おまえしかいない」
だから、と彼は声を震わせた。
「俺は、聞きたくないんだ」
ひどい話かもしれないけど、やっぱり私には彼のお考えがさっぱり分からなかった。
おそらく私に、私の知らない何かを見出してくれているのだろう。
すごくありがたかった。
だからそれ以上の思いにはならなかった。
私は自分に満足していると思っていたけど、実は違ったのかもしれない。
だって、私は彼のように私を評価する気にはならない。たぶん、これからもずっと。
「交換日記、やりませんか」
だから私はそう言った。
鍾離さんが怪訝そうに首を傾げた。何を突然言い出すのか、という感じ。
たしかに前後の文脈を思い返してみると、なかなかに突飛だった。私の中では繋がっていたのだけど、彼の中でもそうだったとは思えない。
「私、やっぱり自分のことをそう言ってもらえるほどの存在とは思えないんです」
私は、私にとってそういうもの。
この査定はもう、一つの項目すら変わらない。
だから、変わるとしたら別のもの。
「私の中のあなたは、そんなこと言わない……言ってほしくないけど。でも、実はそういうことを言うひとなんだって思えたら……。……うう……うまく言えないんですけど、ええと、だから、なんていえばいいのかな」
思考をぐるぐる回転させた末、観念する。
「私、あなたのことを知りたいんだと思います」なので、と言葉を続ける。「また、先送りにしませんか。私があなたのことをきちんと知れたと思えるまで。あなたが私に伝え終えたと思えるまで」
静かに傾聴してくれていた鍾離さんが、フ、と口元を緩めた。
「……なるほど。それで交換日記か」
「昔は文通とかもやりましたね」
「あれは業務連絡というんだ」
鍾離さんは肩の力を抜いて、呆れたように微笑んだ。
「……そうだな。また、一から俺に付き合ってくれ」