選ばれないなら、選べばいい
「あとどれぐらい生きるつもり?」
少年の質問に、は返しに窮した。
彼の声色に邪気はなく、を困らせてやろうといった意図もなかった。少年はの正体を知るからこそ純粋に疑問で、それを口に出しただけだった。
「……分からない」
は俯いた。
「俺はあと何年過ごさねばならないんだろう」
「そんな言い方しなくても。長生きはいいことだよ、」
「過ぎたるは及ばざるが如しだ」
励ますように背を叩かれても、の顔色は晴れない。
「もう俺はひとより長く生きた」
「でもは生きてる」
「死に方が分からないだけだ」
「いいことだよ」少年は笑った。「凡人がその域に辿り着くには、きっとまだまだかかる」
「辿り着かない方がいい」
彼と相反しては笑えなかった。自らにとって切実な問題だと自覚していたからだ。
「長く生きても、終わりがないだけだ」
の苦い経験談に、しかし少年は笑みを崩さない。渋る子どもを諭すような、柔らかい眼でを見ている。
「それはきみのせいじゃない。考え方を変えた方がいいよ、。長く生きるからこそ、できることもあるものだ」
「……たとえば?」
「ぼくときみが友達になったことも、その一つじゃないか」
不意をつかれたの顔に、少年はしてやったとばかりに吹き出した。
「選べなかった道を思うぐらいなら、いまの道で得たものを磨いた方がいい。それはきっと、いまのきみにしか手に入らなかったものだ。それを卑下しても虚しくなるだけだろう」だからさ、と少年は続けた。「長生きしてくれよ、。ぼくは先に行くけど、終わりで待っててやるからさ」
が黙り込んだのをみて、少年は「そうだ」と思いついたように付け足した。腰に提げていた鞘を、中身の剣ごとに投げ渡す。
「一人が寂しいなら、コレをあげよう。それはぼくだ。その剣を持っている限り、きみは決して孤独に成り得ない」
渡された剣を咄嗟に受け止めてしまったは顔を顰めている。
「……ただの剣に、そんな効果はないだろう」
「ただの剣ならね」
ふふん、と少年は意味深に鼻を鳴らした。
「本日諸君の指導を行うのは『博士』の予定でしたが、彼が研究を優先したため、俺に仕事として回されました。です。よろしくお願いします」
しんしんと雪が降り積もる、スネージナヤの一角。
雪をもたらす厚い雲が日中でも薄闇を生み出す空の下、一年のごく短い期間だけ植物の芽が息吹く草原であるはずの雪原で、はファデュイの新兵たちに向かって一礼してみせた。
新兵の指導は本来執行官クラスの者によって行われるのだが、彼らの目の前に現れたのはファデュイ所属でもない見知らぬ青年。新兵たちに動揺の波が走るのも仕方ないといえた。なのではあえて気にしない。
「執行官でもない俺が長口舌を垂れ流しても、諸君に意味をもたらさないだろうから割愛します。とはいえ初対面の相手から、いきなり指導を受ける気にもならないと思うので───」
が元素力を操って剣を取り出すと、新兵たちは先程とは違った意味でざわついた。
「───いまから全員で俺にかかってきてくれ。誰か一人でも俺に一太刀入れられれば、きみたちは即時先遣隊に所属できる。では、はじめ」
かくして穏やかな雪原に暴乱が吹き荒れた。
四肢が如く火と剣を操る男と、およそ三十は下らない新兵たち。
数の上で語るなら前者に勝ち目はまるでなかったが、しかし戦況は圧倒的に彼に傾いていた。次々に迫りくる切っ先や鏃をろくに見もせず捌き切り、ついでのように反撃する。肩や腹を蹴られた新兵たちが枯葉みたいに吹き飛んでいくのを、青年は感慨もなく見送った。
立ち向かってくる新兵たちの数が当初の半分を下回ったとき、はふと気付いたように火を収めた。
「すまない、きみたちは神の目を持っていないんだったな。俺も対等の条件に合わせよう」
事もなげに放言された内容に、新兵たちに戦慄が走った。
減ったとはいえ、数はまだまだこちらが上。相手は神の目も封じるという。
にもかかわらず──一太刀も加えられる気がしない。
それは独特の佇まいによるものか、ただ相手の余裕に圧倒されているのか。
新兵が誰ともなく生唾を呑み込んだそのとき、
「はいはい、そこまで」
戦場に水を差す男が現れた。
彼は注目を引くように軽く手を叩いていた。居合わせた全員が男を見やる。
「タルタリヤ」
は意外そうに彼の名を独り言ち、
「こ、公子様!?」
「どうしてかの執行官様がここに……!?」
新兵たちには、先程とは別の意味で混乱が訪れた。
が知る常とは違い、スネージナヤで活動するとき用のコートに身を包んだタルタリヤは全員の視線を当然のように受け止める。
「もう実力は十分示したでしょ。まだに勝ち目を感じてる奴、いる?」
「…………」
「…………」
「はい、見ての通り。も新兵相手に大人げないことしないでよ」
「大人げないと言われても、これが今日の俺の仕事なんだが」
「加減が下手過ぎ。ただボコボコにすればいいってもんじゃないよ」
タルタリヤはの肩を軽く叩いて横をすり抜けていくと、新兵たちの方へ近付いていった。「きみはもう少し腕周りの柔軟性を磨いた方がいい」「きみはまだ槍に振り回されてるね。背筋を鍛えてみるのはどうかな」「きみは筋肉はいい感じだけど、踏み込みが浅かったよ」自分の足で立っている者、いない者、全員の顔を覗き込んでは一人一人に助言を施していく。
と違い、タルタリヤはファデュイの正式な執行官だ。彼から直々に言葉を受けられるだけでも新兵たちには感涙ものだろう。現に、新兵たちはもれなくタルタリヤに尊敬と羨望の眼差しを向けるようになっていた。
「────というわけだ。じゃ、いま言ったところに気を付けて、それぞれ特訓するといい。間違ってたら、また俺から指導するよ」
「「「はい!」」」
三々五々散っていく新兵たちを見届けて、タルタリヤはようやくといった風に腕を頭の上に持ち上げた。グッと背伸びしたあと、笑顔でを振り返る。
「お待たせ、。スネージナヤに来るなら教えてくれればよかったのに。水臭いなぁ」
「……きみはまだ璃月にいると思っていた」
「あぁ、ちょっと所用でね。家族に顔を出しに来たら、きみが『博士』の代わりに新兵の指導を担当してるって聞いて見に来たんだ」
朗らかな笑顔ながら、タルタリヤに宿る薄暗い気迫に勘付き、はおもむろに溜め息をつく。
「……きみがいるなら、俺の仕事は終わりだな。あとはよろしく、タルタリヤ」
「ちょっと待った! 新兵たちには大盤振る舞いで、俺には何もないなんて、そんな冷たいこと言わないだろう!」
「そういう冷たいことを言ったつもりだ」
は剣を鞘に収め、そのまま元素力で世界に溶け込ませた。
「きみの相手は今日の仕事の内じゃない。……仕事だったとしてもイヤだが」
途端にタルタリヤの風采が崩れる。新兵たちに見せていた執行官然とした態度から、気安い友人と戯れるときのように年相応の表情になった。
「なんでさ! ちょっと手合わせするぐらい、別にいいだろ!」
「俺の首を飛ばしたいなら、すればいい。三回までなら許可する」
「きみって奴は……無抵抗じゃ意味がないんだって分かって言ってるだろ!」
「タルタリヤこそ、俺がきみの嗜好に理解を示していないことは分かっているだろう」
「……じゃ、手合わせはいいよ」予約は入れてるしね、と呟くタルタリヤ。「代わりに食事の誘いならどう? そうだな……夕食とか。スネージナヤでも最高の食事を用意するよ」
は逡巡したあと、「それなら」と軽く頷いた。
パァッとタルタリヤの目が無邪気に輝く。
「オーケー! なら日が暮れたら俺の家に集合ね! 場所は分かってるだろ?」
「……おい。まさかきみの家族の手料理とかいうつもりじゃないだろうな」
「そのまさかだよ! 家族が用意してくれる手料理以上のご馳走なんて、俺には存在しないからね!」
うわあ、と目に見えてがしかめっ面になる。しかし一度承諾した以上撤回するのも気が引けるのか、拒絶の意思を示そうとはしなかった。
「……まあ、きみの家族は人畜無害な人間たちだしな……」
「ハハハ。まるで俺がそうじゃないような口振りだ」
「そうと決まれば、材料ぐらいは持参した方がいいな。いまからだと野菜は難しいから……肉か魚か」
「できれば肉がいいな。なにせ弟妹たちはまだまだ食べ盛りだから」
「了解した。ではまた、タルタリヤ」
話に見切りをつけたが踵を返そうとしたとき、
「──この前のこと、俺なりに考えたんだけどさ」
ふいにタルタリヤが口火を切った。
は怪訝そうに振り返る。
「この前?」
「がどこにも行けないって話」
「……あぁ」そういえばそんな話をしたな、と言いたげには思い出すような素振りを見せた。「それがどうかしたか?」
「うん」
タルタリヤは至極真面目に続ける。
「どうせどこにも行けないなら、そのまま俺の傍にいてよ」
は反射的に何か言い返そうとして、しかしタルタリヤの表情を目にして口を閉じた。思考を巡らしているのか、視線を下に投げる。まもなく彼は再びタルタリヤと目を合わせた。その間、タルタリヤの視線は一瞬たりとも揺れなかった。
「選択肢に加えておこう」
「うん。そうして」
はあ、とタルタリヤは白い息を吐いた。
「が決断するまでに、俺しか選べないようにしておくから」