シグナルストップ
「一生覚えていろ」
男は血反吐と一緒にそう吐き捨てた。
「俺がしたことも、俺としたことも、俺にしたことも、全部だ。都合のいい脚色も許さん。全部そのまま褪せることなく覚えていろ」
地に伏した男の腹には大きな穴が開いていた。そこから絶え間なく流れ出る赤色の量が、彼の命の残量を刻一刻と減らしていく。しかしその赤色が土に染みつくよりもはやく、空から降り注ぐ土砂降りの雨がどこかへ押し流してしまっていた。
は剣を片手に、そんな男を見下ろしている。
致命傷を負わせたのはだった。他ならぬこの剣が彼を傷つけた。
「おまえがそう望むのなら、そうしよう」
「───ハ。できもしないことを」
「できるよ」
は打ち付ける雨に抵抗しようともしない。
「俺は、できるんだ」
やってみせろ、と男は嘲るように口角を上げた。
それが彼の最後の言葉になった。
「本当に氷だ」
から受け取った薄氷色の神の目を、タルタリヤは青空にかざしてみた。日差しを反射してキラキラ輝くそれが偽物でないことは、執行官の身なればこそ保証もできる。
北国銀行、公子の執務室。
今日も今日とて『郵便屋さん』として配達に訪れたを捕まえ、以前の夜に見た炎について尋ねてみたのが、今回のきっかけだった。
彼が神の目を所有していることはずっと前から知っていたので、先日の炎はその仕業かと尋ねたところ、躊躇う素振りもなくかぶりを振られたのである。
「アレは俺の……? ……母の? どちらかは判然としないが、とにかく魔神の権能だ」
「なんでよりにもよってけっこう大事なところが曖昧なの」
「疑うなら見てみるか」
そう言って、から神の目を気安く投げ渡された。
───というはこび、だったのだが。
タルタリヤはの人ならざる部分にまた触れてしまった気がする。
神の目は、常人であれば一時たりとも手放したくない特別な代物だ。こうもあっさり他人に寄越すなど、彼がファデュイの所属だったなら刑罰に値しかねない。
「が氷の元素を扱うなんて聞いたことないけど」
「基本的に必要ないんだ。最後に使ったのはたしか……百二十年ほど前か」
「……贅沢な発言だね」
世には神の目を求める凡人が腐るほどいるというのに。たとえ自分に向けられた眼差しでないとしても、喉から手が出るほど欲しがる輩だっているだろう。
しかも氷元素の神の目。スネージナヤであれば、かの女皇の寵愛の証として、言い値を積み上げる者だっているかもしれない。
「そう言われても」
窓枠に腰を下ろしているは、タルタリヤの溜め息に肩を竦めた。
「欲しくて手に入れたものでもない」
「神の目が欲しくなかったときたか。贅沢を通り越して傲慢だよ、それは」
ちょいちょい、とは事もなげに自分の眼球を指し示す。
「傲慢にもなる。神の目なら自前のがあるんだ」
「……あぁ。そういえばそうだった」
半分だけでも、彼は紛れもなく魔神に類しているのだった。
「じゃあそんな半分神様なは何が欲しいの?」
腑に落ちつつも釈然としなさを残した胸中を振り払うように、タルタリヤは神の目をに返却した。
「……皮肉か?」
投げられたそれを、パシリ、とは一瞥もせずに受け止める。
「そういうつもりじゃないよ。言い方が悪かったかな。どんな目的を達成したくて、きみはこの世界を千年以上も回遊しているの、ってこと」
「目的か。それを聞かれたのは久しぶりだ」は立膝を入れ替えた。「俺は母の考えを知りたい」
続く言葉があるだろうとしばらく待ってみたが、タルタリヤがいくら沈黙を作ってみても、窓辺の彼は言の葉を紡ごうとしなかった。どころか、タルタリヤの注文は満たしてやったぞ、と言わんばかりに胸を張っている。
「……それだけ?」
「それだけとはなんだ」
立派な動機だろうが、とは拍子抜けしたタルタリヤに指を突きつけた。
「俺は生まれて……生まれて? ……自我を持って? ……ちょっと待ってくれ。凡人の感覚だと……なんていうんだ」
「俺も神様の感覚は分かんないから、の好きな言葉を選んでよ」
「……俺が俺を俺であると認識できたとき、母は姿を消していた。死んだのか、どこかへ去ったのか、いまも分からん。分かっているのは、俺のような存在は人間にも魔神にも混じり切れぬ半端者であり、その数は驚くほど少ないということだ」
「一応聞いとくけど、その数ってどれくらい?」
「現在の確認進捗では、俺一体だ」
「よくそれで『驚くほど少ない』なんて言い方できたね」
たしかに間違ってはいないけれど、限りなく嘘に近いではないか。
呆れるタルタリヤをよそに、は話を続けた。
「魔神がわざわざ人間の子を孕む意味はなんだ? 人間は魔神より弱く、脆く、人間でなければ持ち得ない特別な力もない。けれど母はこうして俺を産み落としている。他にそんな行動を取った魔神は、俺の知る限り一体もいないのに」
「……あぁ、そういうこと。やっと俺にもの思考が読めてきたよ」
さっきのお返しとばかりに、今度はタルタリヤがに指を差し向けた。
「きみは自分が生まれた意味を知りたいんだね」
は目を丸くしたあと、ああ、とか、そうか、とか漏らしてから、
「……そうだな。そういうことにも、きっとなる」
「一応神様なのに人間みたいなことを考えるんだね、きみは」
「半分は人間だからな」
そういえばそうだった、とタルタリヤは本日二度目の所感を抱く。
半分は魔神、半分は人間。
永遠のどっちつかず。揺れ続ける天秤のようなもの。
だからこそ、タルタリヤは言ってしまった。
「意味なんて後付けでいいじゃないか」
「───は?」
「生まれた意味とか生きた価値とか、いま考えてもどうにもならないよ。後世の奴らが勝手に値踏みして、適当に処理してくれるものだろ」
そんなことで悩むなんて、タルタリヤにはそれこそ意味が分からない。考えてもどうしようもないことで同じところを千年単位で回り続けるなんて馬鹿らしい。
「後世か」
ポツリと呟いたは首を傾け、窓枠に頭を預けた。
「なら、いまの俺はどこにいる?」
「……うん?」
「過去の魔神で、現在のどっちつかずで、未来の人間。それが俺なんだ、タルタリヤ」
常識のように言い放たれた彼の発言に、
「──────」
タルタリヤは心ともなく息を吞んでいた。
半分は人間、半分は魔神。
その意味を──それこそ半分も理解できていなかったのかもしれない。
タルタリヤたちのように“後世”なんて、にはないのだ。
その時間軸にタルタリヤは間違いなくいないだろうが、はまだ留まっているかもしれないから。
「どこにも行けないんだ」
わずかな疲弊を感じさせる声色だった。
「俺は変われないから」
魔神にも人間にもなりきれないから、と。