チョコレートを投げ捨てた





 花宮真は模範的優等生である。
 智勇兼備、音吐朗々、八面玲瓏。とりあえず褒めとけって感じの男。
 当然クラスの中心で、男女共に人気が高く、教師からの信頼もとても厚い。

 そんな彼が私には――気持ち悪くて仕方ない。


。また花宮くんにノート提出拒んだんだって?」


 友人が憮然とした顔つきで、私の席までやってきた。


「だってあいつ、前科あるし。あいつに渡すぐらいなら自分で職員室まで持っていく」

「前科って……たまたま一回だけ、アンタのノートを無くしただけじゃない。それも四月の初めのことでしょ? 授業にも単位にも支障はなかったんだし、そもそも花宮くんだって謝ってくれたじゃない。そんなに根に持つことか?」


 高校入学のときからの友人である彼女は呆れたとばかりに長い息を吐き出した。


「花宮くんだって学級委員だからやってくれてるだけなんだから。迷惑かけるなっつの」


 軽く額を小突かれた。私はムッとしつつも、彼女に反論することができない。

 ……もう六月だ。四月に起こったノートの件なんて、正直気にしていない。

 ただ、そのときに私へ謝罪を口にした花宮真の目が、未だに脳裏にちらついている。
 蜘蛛みたいな、蛇みたいな――とにかく生理的に受け付けない嫌な瞳だった。


「……あいつの弱点とか、ないかな」

「は? あいつって花宮くんのこと?」


 窓の外に視線を逃がしつつ、こくりと頷く。

 友人はさらに呆れを含蓄させて、やれやれとかぶりを振った。


「花宮くんに弱点んなもんあるわけないでしょ。成績優秀、文武両道、眉目秀麗――どう考えたって今のうちにツバつけとくべき男ナンバーワンだわ!」


 当の花宮本人がいま教室にいないからと、我が友人ながら好き勝手宣うものである。

 とはいえ、彼女が口にした褒め言葉はほぼ事実だ。花宮真にはそれらしい短所は見当たらない。


「……足が臭いとか水虫とか足の大きさが左右で違うとかそんなんでいいのに……」

「赤司さ、花宮くんの足に恨みでもあんの?」


 すぐに「そういうわけじゃないけど」と否定したが、本音を言えば骨折ぐらいにはなってほしい。

 完璧超人なんて大嫌いだ。
 がぎり、脳裏を過った赤い面影を奥歯ですり潰した。












 週末、私は新刊を買いに出かけた。住宅地を抜け商店街に足を踏み入れたとき、見知った横顔を発見してしまい、反射的に物陰に隠れた。隠れてから「別に私何もしてない!」とハッとした。

 花宮真は一人、ふらりと商店街の中へ進んでいった。あいつバスケ部なんだから週末の昼中は練習してろよ、とほとんど恨み節で考えつつ、私は相手と一定の距離を保って歩を進めた。万が一にも顔を合わせるなんてごめんだったし、話をするなんて事態になれば舌を噛み切るつもりだった。

 早々に見失ってくれればよかったのに、不幸にも私と彼の進行方向は一致していた。早く本屋に入ってしまいたい、と何度も思った。商店街の最南端にある本屋の位置を憎んだのは初めてだった。

 それでも何とか本屋の看板が見えてきた。私がほっと胸を撫で下ろしたとき、見慣れぬ制服――少なくとも霧崎第一ではない――の男三人が花宮真を素早く取り囲んだ。三人は強引としか思えぬほど素早く彼を路地裏に連れ込んでしまった。


「…………えー……」


 よりにもよって、私が見ているときにこんなことが起こらなくたっていいじゃないか。

 さっさと本屋に入って見なかったフリをしてしまえば、という選択肢は一瞬で掻き消えた。私は花宮真が嫌いである。そう胸を張っているために、己に恥じ入るような真似はしたくなかった。

 別に彼を早急に助ける必要があると決まったわけじゃない。長話をするのに、大通りではヒトの邪魔になると路地裏に入っただけかもしれない。そもそも私一人で男三人相手に何とかできるわけがない。とりあえず花宮真が無事にどこかへ去るまで確認するだけ、と半身になって路地裏を覗き込んだ。


「おまえ、俺らにあんなことしておいてよく一人でぶらつけんな」

「加苅はもう今までみてーに歩けねーんだぞ!? 分かってんのか!?」


 花宮真は壁際に追い込まれ、それを囲む三人に逃げ道を塞がれていた。路地裏に彼ら以外の人気はない。人がひしめくこの商店街では、覗き込む私すら人の流れに埋もれてしまっていた。

 ……想像以上にやばい事態っぽい。大声を出す準備だけはしておいた方がよさそうだ。


「――ふはっ。知らねーよ、んなこと」


 よく知っている、特徴的な嫌味な笑い方。
 聞いたこともない、汚い口調。

 相反するその二つは――花宮真の口から発されていた。

 ぞくりと肌が粟立った。いつも作り物めいて穏やかな彼の顔が、吐き気を催すほど歪められていた。


「てめーらが勝手に怪我したんだろ。オレのせいみたいに言う前に、今度は勝てるように練習したらどうだ?」

「ってめ……!」


 ざわり、と男たちがいきり立つ。何で煽るようなこと言っちゃうかなぁ!?

 ……っていうか演技じゃないよな、あれ。芝居にしてはあまりにも違和感がなさすぎる。

 あれが花宮真の素か。納得するのは易かった。学校では気持ち悪い仮面を被っていた、と考えた方が自然だろう。何せ、いまの花宮真はとてもイキイキしていた。

 花宮の煽りを受けて、男たちの背中が膨れ上がったように見えた。あんなことを言われたら、誰だって怒る。元から苛立っていただろう彼らは尚更だ。

 男たちは声を上げて花宮真に殴りかかろうとした。三人に囲まれているせいで逃げ場はない。花宮真は依然にやにや笑っていたけど、私は面白くない心地にならざるをえなかった。


「それはちょっと……卑怯でしょ」


 彼らの事情は存じ上げませんけど。
 様子を見るにきっと花宮真に非があるのだろうけど。

 だからって、卑怯が許される道理はない。
 花宮真を叩きのめしたいなら、彼らは正攻法で――バスケで挑むべきだ。

 足元に落ちていた空き缶を拾った。花宮真の正面にいた男に、それを思い切り投げつけた。

 かーん、と小気味いい音はスタートダッシュの合図。

 新刊なんざもうどうでもいい! 私は一目散にその場から逃げ出した。













 翌日――月曜日のことである。

 それからどうなったのか、私は知らない。覗きを切り上げたのだから当然だ。

 ――なのに何故、平時の胡散臭い笑顔を被った花宮真と一緒に登校しているのでしょうか。

 ヒトの多いピークよりやや遅れた時間帯。普段は私以外には人っ子一人いない通学路に、何故か今日に限って花宮真が横合いから「おはよう、奇遇だね」なんて寒気のするほど爽やかな挨拶をしてきて、私の口角が引きつっている間に彼は隣に並んできた。


「赤司さんと通学路に会うなんて初めてだね。いつもこの時間に登校してるの?」

「……あ……はい……そうですね……」

「ははは。敬語なんていいよ、クラスメートじゃないか」


 別に敬語を使いたいわけじゃねーし物理精神問わずおまえと距離を取りたいだけだし。
 ……とは言えるわけもなく。自分でも何を言っているのか分からないまま、私はもごもごと言葉を口内で転がした。

 昨日の今日だ。偶然とは考えていない。顔は見られていないと思うが――花宮真が私に気付いていたのはほぼ確実だろう。どのタイミングで気付いたのかが問題だ。素を出す前からか、後か。それによってこの場の主導権が決まる。

 私が黙然と思案している間も、花宮真は爽やかに話を振ってきていた。全て無視スルーしていたけど、それでもめげずに話しかけてくる。演技だとしても筋金入りだ。思わず感心したくなった。


「――何で良い子ぶってんの? それ、本性じゃないんでしょ」


 花宮真の話をぶった切って、いきなり核心を押し付けた。


「……いきなり何を言うんだい、赤司さん。ちょっとびっくりしたよ」


 なおも彼は優等生の仮面を被り続けようとしたが、追い打ちで「昨日商店街にいたでしょ」と告げると、途端に笑みの種類が変わった。草食動物の皮を脱いで、肉食動物が牙をちらつかせた――そんな錯覚すら覚えた。


「……ふはっ。やっぱり昨日の空き缶はおまえか。余計なことしやがって。ああいう馬鹿共を見るのが楽しいんだろーが」

「元気そうで何より。みんなの花宮くんが怪我なんかしてたら、学校中引っくり返るからね」

「――何でっつったな」花宮がギチリと口角を吊り上げた。「意味なんざねーよ。簡単に騙されてる奴らがおもしれーからやってるだけだ」

「悪逆無道」


 努めて素っ気なく言ってみたけど、内心私はホッとしていた。


「だからどうした? 言いふらすか?」


 花宮には依然余裕が残っていた。それを不思議には感じない。学校で――私の人脈で彼の真実を流したところで、まもなく優等生かれの影響に潰されてお終いだ。花宮と私、どちらが信頼されるかなど普段の扱いから明白だった。

 それでも私は――こうして彼と話すまで、そのつもりだった。四月の件というわけではないけれど、今までの鬱憤を晴らさせてもらうつもりだった。半分ぐらいは八つ当たりで。

 ふう、と小さく息を吐き出した。


「……そのつもり、だったんだけどね。それこそ無意味だろうから、もういいや。花宮が完璧超人ばけものじゃないと分かっただけで満足した」

「は?」

「私、完璧超人ばけものは嫌いだけど、悪人にんげんは好きだし。黙ってるから、今まで通りに猫被っときなよ、花宮。その方が人間きみらしい」


 花宮は眉間に深いしわを刻んでいた。普段の学校での彼からは信じられない形相だった。


「……おまえ、腹立たしいってよく言われるだろ」

「一つ下の従兄弟にはよく言うけど。――聞く? 真正の化け物の話」

「ぜってーやだ」






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