氷のように振る舞う者よ







「バーニッシュに売るもんなんかねえよ。とっとと帰んな」


 本屋の店主から忌々し気に吐き捨てられて、リオは思わず固まった。本を買い求める手をレジに出したまま、呆然と相手を見つめてしまう。そろそろ初老に差し掛かろうかという男は伸びきった前髪の奥から鋭い眼差しをリオに向けていた。敵意の色だった。


「……そうか」


 いまさら驚きはしない。リオは相手の眼差しを甘んじて受け止めた。商品を元の場所に戻しておこうと踵を返しかけたら、店主から「そこに置いてけ」と目も合わせずに指示された。それも大人しく聞き入れる。そっとレジに本を置いた。店主は大事な我が子を背に庇うように、その本をすぐさまレジの内側に隠し込んだ。

 プロメアがいなくなっても自分がバーニッシュだった過去が消えるわけではない。とっくに分かっていた。いまも受け入れていることだ、けど。こうして拒絶を様々な形で突きつけられるたび、自分たちと彼らの間にある溝の深さを改めて思い知る。

 ガロやバーニングレスキュー、いまの行政はよくやってくれている。元バーニッシュの自分たちが贖罪という形でとはいえ、人間らしい生活を送れているのは非常にありがたいことだ。とはいえ、何もかもバーニッシュになる前の昔と同じとはいかない。

 この世界はまだ、火傷の痛みを引きずっているから。


「おじさん、それぼくが貰ってもいいですか?」


 リオが本屋を立ち去りかけたとき、入れ違いにレジを訪れた客が店主に話しかけた。若者の声だった。どこかで聞いたことがあるような気がしたが、頭のどこかがやめておけと引き止めているようになかなか思い出せない。


「いいのか? ……バーニッシュの触ったもんだぞ。いつ燃え出すともしれねえ」

「ぼくもそれは不安なんだけど、もうそれしか残ってなくてさ。後で棚補充しておいてよ」

「……まあ、貰い受けてくれるってんならこっちもありがたい話だ。タダでいいぞ」

「さすがにそれは。お金はちゃんと払うよ。作者にも悪いしね。代わりにポイントカードのスタンプ増やしといて」

「ちゃっかりしてやがる」


 客と話している内に、店主は気勢を削がれた声色になっていった。どちらも遠慮のない物言いだったから、昨日今日知り合った仲ではないのかもしれない。

 リオに二人の関係を検める時間はなく、そんな気分でもなかった。二人のやり取りはまだ続いているようだったが、本屋を出てしまうと途端に耳に入らなくなる。

 休日の昼間だからだろう、往来は実に賑やかだった。街はもはや受けた傷を目に映らないほど癒しつつある。だが、ヒトの傷はそう簡単にいかない。見えなくなっても、血は漏れる。

 リオが俯くようにして歩いていると、たったった、と小走りに追いかけてきた者が彼の肩を掴んで振り返らせた。


「リオ・フォーティア」

「……


 苛立たし気に眉根を寄せただった。走ってきた余韻か、呼吸が乱れている。

 彼から自分に近寄ってきて、あまつさえ話しかけてくるなんて。瞠目するリオがどうしたと尋ねる前に、は勢いよくなにかを押し付けてきた。

 先程リオが購入を拒まれた本だった。


「差別を当然と受け止めるな」


 の声には我が事のような激情が滲んでいた。

 胸元に押し付けられた本を、リオは反射で抱きとめてしまう。


「あれは私刑だ。きみは既に法の下で裁かれている。市民からの差別を受ける謂れはない」


 言うだけ言って踵を返そうとしたの背中に、リオは知らず声をかけていた。


「……あの本屋は、あのとき一度僕が燃やした。店主が僕を拒むのは当然だ」

「だとしても。それで彼がきみを許すとでも?」


 甘えるなよ、とはリオを強く睨む。


暴力ほのお以外で戦ってみせろ、バーニッシュ。そして市民から真っ当な信用を勝ち得ろ。きみたちの贖罪はそういうものだ。きみたちを信じたぼくの幼馴染に泥を塗るな」

────」

「それと、馴れ馴れしく呼ばないでくれ。きみに呼び捨てを許した覚えはない」


 今度こそ、は瞬く間に人混みへと溶けていった。リオは慌てて追いかけようとしたが、雑踏に阻まれる。「!」呼びかけた声に返事はなかった。それが罰だと言われた気がした。





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