雨が降ると、監督生は思い出したように立ち止まるときがある。

 晴れている日は僕やエースを置き去りにしかねない瞬足ぶり(とくにリドル先輩や先生たちの説教から逃げるとき)を惜しげもなく披露するのに、雨が降っていると「あ」と目を点にして急停止。そのまま首根っこを掴まれて説教部屋まで連行、なんてのもしばしばあった。

 今日は誰もヘマをやらかさなかったので追いかけっこは開催されなかったが、見知った背中は中庭の一角でジッと佇んでいた。

 オンボロ寮から引っ張り出してきたオンボロ傘を手にしている後ろ姿なんて、この学園でも二つとない。


「監督生。なに見てるんだ」


 少しだけ目を丸くして振り返った監督生は、相手が僕だと分かると途端に相好と警戒を崩した。


「かたつむりだよ」

「……おもしろいのか? それ」

「おもしろいっていうか」


 躊躇いもなく、雨露の溜まった葉の上にいたそれを摘まみ上げる。


「食べる」

「…………………………え?」

「食費浮くんだよね」


 監督生にたかるのは二度とやめよう、と思った。
 寮に帰ったらエースにも強く言っておこう。









 植物園における俺の定位置を奪うなんて、とんでもない奴だ。

 俺の居場所を奪うだけに飽き足らず、監督生は穏やかな寝息まで立てていた。頬や腹を爪先で転がしてみたが、その目蓋はピクリとも動かない。どころか寝言までムニャムニャ溢し始めた。


「これは……うさぎ……犬……?」


 ゴロリと寝返りを打ち、


「くま……?」


 もうサイズの目測から怪しい。
 こいつの目蓋の裏には、いまどんな生き物が映っているのか。

 わりと強めに額を小突いてみたが、やはり起きる気配は微塵もない。こいつが寝返りを打つのを助長するだけのような気がして、溜め息をついた。


「猫だよ」


 寝言に返事ってまずかったんだったか、と思い出した瞬間だった。


「ねこかぁ……」


 いかにも嬉しそうな、だらしなさすぎる笑み。

 ……あぁ、起こす気が失せそうだ。ここは俺の場所だっていうのに。








 指を食いちぎる瞬間を見られてしまった。


「わ゛あ゛あ゛ぁ゛ぁぁああぁぁぁ!?!?!????」


 不機嫌状態のフロイドをはるかに上回る汚い声を出しながら駆け寄ってきた監督生さんは、焦燥を隠そうともせずに僕から右手を取り上げた。


「アンタ何してんですか!?!??!???」

「何って……指を少し噛みちぎっただけでしょう」

「ユビヲスコシカミチギッタ!?」


 出来損ないのインコめいた悲鳴を目の前で出されると、些か耳が痛い。


「めちゃくちゃヤバいんですけど!?」

「…………タコの習性について説明する必要がありますか?」

「授業でもないのに小難しい話は聞きたくないです」


 一瞬で落ち着きを取り戻した監督生さんは、頭を冷やすためだろう、胸に手を当て、深い息を吐き出した。


「人間がストレスで爪を噛むようなものだと理解しました」


 大きく頷いてから、


「いや指食いちぎるってなんですか。やっぱ全然分かんないです意味不明過ぎて怖いです」

「……指ぐらい、魔法薬でいくらでも生やせます」

「だとしてもです」


 取り上げられたままの右手を掴み直され、そのまま引っ張られて歩き出す。


「少し一緒に歩きましょう、アズール先輩。軽い散歩はストレス発散や思考整理にも効果的らしいですよ」

「……あなたとですか?」

「あいにくジェイド先輩もフロイド先輩もこんなときばかり姿を見せやがりませんので」


 いつも来てほしくないときばかり絡んでくるくせにチクショウ、なんてぶつぶつ言いながら監督生さんは僕を先導していった。

 お世辞にも魅力的とは言いづらい、眉間にしわが寄ったその横顔から、不思議と目が離せない。繋がれているというよりは拘束されているといった方がよさそうな右手すら不快に感じない。普段なら煩わしいはずの他人の体温すら、どうしてか───


「……なに笑ってるんですか、アズール先輩。はやく保健室行きますよ」






Dear Chihaya. Thanks for the good title.

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