ヒトがヒトを忘れるとき、まずその声から忘れていくらしい。

 折り畳み携帯のデータなんて、もはや前時代の遺物だ。いまは多機能スマートフォンの時代であり、折り畳み携帯の画質や音質なんて貝塚の貝みたいなものだ。それでも、意味はある。警察学校を卒業したときの飲み会で、戯れに回したカメラに収めた動画のおかげで、私はまだ彼らの声を覚えていられる。

 パソコンに保存しておいた、ノイズ混じりで再生される糞画質の過去。私の記憶をそのまま反映されているようで、少しばかり腹が立つ。機械ぐらい、無駄に正確であってほしい。

 松田と肩を組む萩原、爪楊枝をくわえてジョッキを振り回す伊達。
 どいつもこいつも、死ぬには早すぎた。


「何見てるんだ」


 ふいに、隣の席に男が座った。

 駅のスタバのカウンター席。東京に数ある十字路の一つをそのまま見下ろせる場所。
 その片隅でノートパソコンを開いていた私は、半目かつ横目で隣を窺う。


「十分遅刻」

「出世コースは忙しいんだよ。万年二位と違ってな」

「…………」

「おい、足を踏もうとするな」


 ヒールの部分で相手の足を踏みつけようと試みたがうまくいかなかったので、げしげしと脹脛の部分を蹴ってやる。顔をしかめた相手も反撃してきたので、しばらくテーブル下での攻防に没頭した。それが中断されたのは、彼が溜め息まじりに口を開いたときだった。


「で。何見てたんだよ」


 彼を蹴るのを止め、足を組み直した。こん、とヒールで床を叩く。


「卒業式の後、みんなで打ち上げやったの覚えてる?」

「あぁ」彼は納得して、そっと微笑んだ。「おまえ、それ、毎年見てるな」

「たぶん、私は一生この日に見返すと思う」


 萩原が死んでからの習慣だから、今年で七年になるのだろうか。

 ――時折おぼろげになる彼らの後ろ姿にしがみつくように。
 彼らの顔も、声も、存在も忘れないように。

 私と同じく黒スーツ姿の男は「ふうん」と言った。賑やかで華やかな店内で、私たち二人だけ葬式帰りみたいな恰好だ。


「そろそろ行くか」

「うん」


 白手袋、黒スーツ。SPか、あるいはおよそ堅気ではないような服装だ。
 喪服だと世界に看破されないことを祈りながら、パソコンを閉じて鞄にしまいこむ。

 私たちは腰を上げ、連れたって店を後にした。











 松田と萩原の命日は一緒だけど、伊達は違った。

 それぞれの日に行けばいいだけの話なのだけど、そうすると何となく伊達だけ仲間はずれになるように思えてしまって、降谷と話し合った結果、警察学校の卒業式だった日に赴くことにした。伊達が死んでからだから、今日で一年目。私と降谷だけで墓参りに行くのは二回目だ。

 最初にいなくなったのは、萩原。七年前。
 次にいなくなったのは、松田。三年前。
 そして、伊達。一年前。

 こんな仕事をしている以上、ある程度の覚悟はしている。
 それでも、失う痛みに心は軋む。

 松田の墓前に線香と花を添えて、足を折り、静かに手を合わせた。ややあって、立ち上がったのは同時だった。

 私と降谷は、それぞれ花束を一つずつ持って、墓地を歩く。降谷は花束を持つ手とは逆の手に、水の入ったバケツと杓を提げていた。


「次、萩原か」

「……そういえば、警察学校のとき、アンタと仲良い奴いたよね」

「誰のことだよ」

「声の良い、黒髪の優男。私は付き合いがなかったから、名前覚えてないんだけど」


 そこまで話して、ようやく彼は「あぁ」と呟いた。


「どうしたんだよ、いきなり」

「いや、アンタ友達少ないから。ちゃんと今でも付き合いある奴いるのかなって」

「失礼だな。よりは人望ある」

「おまえが失礼だよ」


 風船みたいに軽い言葉をかわしていたら、いつの間にか萩原の墓の前に辿りついた。

 墓の上で烏が休んでいたので、腕を振って追い払う。烏は抗議の声を上げて飛び去っていった。幸い、糞はされていなかった。

 松田のときと同じように、軽く掃除をして、丁寧に水を掛ける。水を掛けるのは私の実家の慣習で、降谷は当初顔をしかめていたけど、いつの間にか馴染んだようだった。いまは私が何も言わなくても、彼が水を掛ける。「夏はいいよな。涼しそうだ」とは、春先に毎年聞く彼の言葉。

 線香と一つの花束を添えて、屈んで拝む。
 静寂を呑み込むように、一度だけ深呼吸した。


「……次は、伊達ね」

「――あるよ」彼はふいに言った。「あいつとは、今も交友関係だ」


 一瞬、何のことかと思って目を瞬かせてしまった。

 ぽかんとしていたら、隣に屈んでいる降谷がむっとしたように「が言ったんだろ。さっきの話だよ」と言った。

 あぁ、と呟きつつ、私は残った花束を抱えて立ち上がる。


「何だ。ちゃんと友達いるの」

「いるよ。おまえじゃないんだから」

「ほんっと失礼ね。私にだって友達ぐらいいるし。めちゃくちゃ人気者だし」


 ……いや、“めちゃくちゃ”は言い過ぎかもしれないけど。

 立ち上がった降谷が杓の入ったバケツを提げて、すたすたと伊達の墓の方へ歩いていく。その背中を慌てて追いかけた。

 どこか遠くの方で、知らない鳥の声がした。


「……どいつもこいつも、挨拶もなしにいなくなるの、本当にやめてほしいわ」

「『今から死にます』って言われても困るだろ」

「言われたら、殺してでも止めれるのに」

「殺すな」


 呆れ声を返してから、降谷は肩を竦めた。
 春になる直前の冬の風は、少し肌寒かった。


「あの人、死なないといいわね」


 私はどこにいるかも知らないし、もう顔すらぼやけてしまっているけど。
 それでも、死ぬよりは、生きている方がいい。

 少しだけ間が空いた。私たちの間をから風が吹き抜けた。


「そうだな」


 降谷の声は、どこか虚しそうだった。

 そうして、伊達の墓前にも線香と花を添えて、掃除もして水も掛けた。毎年やっていると、作業もこなれたものだ。

 伊達だけは、もう一つ置いておくべきものがある。スーツのポケットを漁り、今朝スーパーで買ってきたものを置いた。


「……去年も言ったけど、そんなにいっぱいあってもどうするんだよ」

「大は小を兼ねまくるの」


 それは爪楊枝パック。伊達はいつも爪楊枝をくわえていたから、何となく添えている。
 煙草とかの方が恰好はつくのだろうが、墓地に煙草は何となく不謹慎に思えた。伊達のイメージもあって、爪楊枝を置いていくことにしていた。

 拝むときは、決まって無言になる。彼らに報告がてら世間話でもした方がいいのかもしれないけれど、生憎と報告するほどのこともなかった。そうして、私たちは手ぶらで立ち上がる。


「戻ろっか」

「あぁ」


 帰るときは、振り返らない。
 打ち合わせをしたわけじゃないけど、私も降谷もそうしていた。過去を振り返るのは、一年に一度、彼らに会いに来たときだけ。どうせ遠からず私たちも彼らと同じ場所に行くのだから、未練たらしく視線を遣ることもないと思っていたのかもしれない。

 降谷の車に乗り込む。私は助手席、降谷は運転席。良い車だから一度は運転してみたいのだけど、彼がハンドルを任せてくれたことは一度もない。

 頬杖をついて、見るでもなしに外を眺める。じきに車が動きだし、この墓地から遠ざかることだろう。

 また来るよ。私はいつも、無言で彼らに語り掛ける。
 来なくていい、と彼らは手を振るかもしれないけれど。



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