恒河沙





「……で。どうなったの?」

「めでたく恋人関係になったけど」

「どこがめでたいって言うんだよ!?」


 思わず声を荒げたコナンに対し、は平然とした顔のままだった。何がおかしいのか分からない、と言いそうな表情で小首を傾げている。

 コナンは小学校からの帰り道だった。たまたま道路脇で車に凭れかかっていたの姿を発見し、声をかけ――先日の安室からの告白の件が世間話として彼女から公開され、今に至る。


「お互いフリーで、付き合いませんかって言われて、断る理由もなかったら当然の帰結じゃない?」

「いや、いやいやいや! は何でそういう部分だけ妙に世間離れしてんだよ! 第一あの人はなぁ――」


 そこではっとし、コナンは慌てて口をつぐむ。

 が不思議そうに目を丸くし、ひょいと屈んでコナンの顔を覗き込む。少年は抵抗するように顔を反らした。

 と、がいきなりコナンの両頬をがっと片手で掴んだ。そのまま、無理矢理彼女の方を向かされる。


「あの人が、何?」


 怒っているわけでも、笑っているわけでもない、能面としか言いようのない顔だった。
 しかし有無を言わさぬ迫力を伴っていて、くわえて声に恐ろしいほど温度がなかったものだから、コナンはごくりと生唾を飲んだ。

 ――は、工藤新一の従姉である。そして、コナンがその工藤新一であると知っている。

 知っている、というよりもコナンから知らせたのだが、結果としては一緒だろう。母、有希子の勧めもあったし、何より現役刑事の協力を得られるメリットも魅力的だった。実際、がいる事件現場では子どもでしかないコナンの姿でも色々と勝手がきいた。


「……後悔すんなよ」

「子どもになっちゃった従弟以上の後悔なんてないと思うわ」


 観念し、コナンは溜め息を吐く。こういうとき、彼女が絶対に引かないことを彼はよく知っていた。

 がそっとコナンから手を離し、車のドアを開いて彼を招く。ひりひりと痛む頬を擦りつつ車に乗り込んでから、コナンは事情を語りだした。

 ――安室透は、新一に薬を飲ませて幼児化させ、コナンと名乗らざるをえなくした組織の一員である。

 組織でのコードネームはバーボン。コードネームを与えられていることから推すに、それなりの立場であると思われる。
 だが同時に、組織に潜入している公安のスパイである可能性が高い。敵か味方か断定ができない、複雑な立ち位置の青年だ。現状、彼から直接的な被害を受けたのはコナンの知り合いである灰原ぐらいだが、彼女に手を出された以上油断ができない人物であることに変わりはない。

 場所を公共の道路からの車内に移した二人は、揃って腕組みをしていた。血の繋がりを感じさせる光景だった。


「……だとしたら、私が彼の傍にいるのは好都合じゃないの。監視もできるし」

「あのなぁ、俺はに協力はしてほしいけど、危険に巻き込みたいわけじゃねえんだぞ」

「おまわりさんは危険に巻き込まれるのがお仕事よ」


 特に私は一課だしね、とは腕組みを解き、右手で掴んだハンドルを指で何度か叩く。

 ああそうですか、と納得できるほどコナンが抱える事情は単純ではない。釈然とせず、彼は半目でを見上げる。


「……まさか、本当に惚れてんじゃねえだろうな」

「顔だけは好みだと認めざるをえないわ」

「…………」


 たまにコナンには、この従姉の考えがまったく読めなくなるときがある。

 は足を組み直し、横目でコナンを見た。


「しん――コナンくんの話を聞く限り、それなりに警戒しておくべき男なんでしょう。だったら監視の一つ二つは付けておくのが妥当だわ」

「もうFBIが警戒網を敷いてるよ。安室さんのことだから気付いてるとは思うけど」

「……FBI?」


 ふいにが魚の骨が歯に挟まったような顔をした。


「まさか日本でアメリカの警察が動いてるのは気に入らねえとか言うんじゃねえだろうな。敵は世界的な犯罪組織なんだ。つまらない柵なんか気にしてる場合じゃ――」

「いや、そういうのじゃなくて」否定のつもりか、が軽く手を振る。「警察という組織としてはともかく、私個人は協力の手は多ければ多いほど良いと思ってる。国際関係は一課わたしの管轄でもないし、特に気にしないわ」

「じゃあ何だってんだよ?」

「……昔、FBIと合同捜査したとき良い男に会ったなあと。そう思い出しただけよ」


 ただの思い出――と言い張るには、些か彼女の表情が緩まりすぎた。好奇心に駆られ、コナンは身を乗り出す。


「へえ。が良い男なんて言うの、初めて聞いたな。何てヒト?」

「……コナンくん。非常に下世話な詮索よ、それ」

「いいだろ、身内なんだし。だいたい、昔俺と蘭をやたら囃し立てた奴が言うセリフじゃねーぞ」


 幼い時から世話になっている身内というのは、こういうとき強く出れる。お互いの弱みは筒抜けに近い。

 はむっと頬を膨らませてから、ややあって諦念の溜め息をついた。腕置きに肘をつき、彼女は窓の外の景色を眺め始める。


「……昔のことだから、よく覚えてない。FBIに東洋人がいるなんて珍しかったから、印象に残っているだけ」

「東洋人……中国系とか?」

「うーん。聞いた名前は日本人のそれだったと思うけど、そこまで覚えてないな。良い男という印象が強すぎる」

「……日本人?」

「何故かガンダムを連想したことだけ覚えてるな。何でガンダムだったんだろ、ガンダムに日本人って出なかったよね」


 改めて思い出すと、記憶があからさまに劣化していたらしく、はしきりに首を傾げている。

 対し、コナンは「もしかして」という思いを捨てきれなかった。そんなことはないだろうと思いつつも、恐る恐る口に出す。


「……もしかしてそのヒト、赤井秀一って名前だったり……?」

「――あ! そうそうそれそれ! アカイだったから、シャアを連想したのよ!」


 だからガンダムだったのか、と納得がいったらしいは合点がいったので満足そうに頷いている。

 一方、コナンは信じられない思いで座椅子に身を沈めた。知らず乾いた笑いが漏れそうになる。


「あれ、どうしたの。コナンくん。そんな複雑そうな笑みなんて浮かべて」

「……いや……世間って狭ぇんだなぁって……」


 何となく、その「良い男」を知っているとは言わない方が良い気がした。そう、何となく。


「――ここらで話を戻すけど。とりあえず安室透との交際関係は保留でいい?」

「……俺がどうこう言ったところで、自分が納得しないと破棄する気ないくせに」

「よく分かってるじゃない」


 がにっこり微笑みかけると、コナンは露骨に口角をひくつかせた。


「キープだろうと何だろうと、男が一人いるってだけで合コン参加を断る理由になるからね。渡りに舟というヤツよ。顔も好みだし」

「……って合コンとか行くんだ」

「覚えておきなさい、コナンくん。行きたくなくても義理と人情に連行されることを」


 そう嘯くはどこか遠くを見る目つきだった。あまり掘り下げない方がいい事情なのかもしれない。

 ともかく、と彼女は片手をひらひらと振ってみせる。


「私は彼を監視する。それに見合うメリットもある。破棄する理由はないわね」

「……国際的な犯罪者だとしても?」

「そのときは私が逮捕すればいい話」

「殺されるかも」

「死なないわ」だって、と彼女は口角を上げる。「あの男にまだ勝ってないもの」


 には昔から、どうしても勝てない相手がいるらしい。

 学生時代からその男に負ける度に泣き喚き、正真正銘の子どもだった新一に愚痴るぐらい、何で勝負しても勝てなかったらしい。あんまりにも勝てないものだから、一時はノイローゼになりかけたこともあったほどだ。とはいえ、魂に染みついた負けず嫌いが自分自身にまで負けることを許さなかったらしく、ノイローゼは三日ほどで治ったが。


「ふーん」


 仕方ないので、コナンは諦めることにした。頭の後ろで両手を組み、彼女に告げる。


「でも、マジで危なくなったら止めるからな」

「……新一くん、そういうところが蘭ちゃんを泣かせるって分かってないのよね」

「何でそこで蘭が出てくんだよ!?」


 思わず座椅子から身体を起こしてしまうコナンに見せつけるように、はやれやれと肩を竦めた。

 と、彼女の手にはスマホがあった、軽快な指さばきで操作し始める。


「……仕事?」

「いや、彼氏にデートのお誘い」

「安室さんに!?」


 思わず目を剥くコナンに向けて、彼女はニヤッと笑った。


「何事も主導権を握るのは早い方がいいわ。軽いジャブといこうじゃない」

「……恋愛関係も勝負認定するから、今までの彼氏と長続きしなかったんだろ」


 メッセージを送信し終えたが、今日一番の笑みを浮かべた。そっとスマホを膝の上に置く。

 そして、コナンの頬を両手でこれでもかと引っ張る。


「いつまでも蘭ちゃんを安心させない青二才は黙ってなーさーいー!」

「い、いででで! ひっぴゃるにゃ!」


 縦横無尽に動かし最後に丸を描いてから、ぱちんと手を離す。よく伸びる子どもの頬は、すっかり赤くなっていた。

 むうっとした顔で睨み付けるコナンに、爽やかな笑顔を返す
 と、彼女の膝の上のスマホが振動した。素早く彼女が確認する。


「……安室さんだ」

「え!?」

「返事早いな、この人。あいつみたい」


 スーツの胸ポケットにスマホをしまいこみ、は悪戯っ子の顔で笑った。


「先制パンチといきますか。コナンくん」

「……おまえ、楽しんでるだろ」











「で、どうだったんだよ」

「めちゃくちゃ楽しかった」

「本題忘れてんじゃねーか!」




back | top | Next

inserted by FC2 system