「率直に言うとボク、きみがいつ200階に上がってくるかなってワクワクしながら待ってたんだよ」
取り繕う理由もなかったボクは、単刀直入に切り込んでいった。
対し、の反応はつまらなさを極めたものだった。
「はあ」
あまりの素っ気なさに、一瞬笑顔が崩れそうになった。努めて表情はキープしたものの、口調には感情が露骨に乗ってしまった。奇術師らしからぬ失態だと認めざるをえない。
「何で来ないの」
は一瞬だけ夜色の瞳を揺らして、だけど視線はボクから逸らさなかった。
まるでチーターに目を付けられたガゼルが懸命に生きる道を模索しているような――そんな印象を受けた。天空闘技場のリングで自分より大きい男たちを容易く蹴落とし続けている彼女は草食動物なんて可愛いものではないだろうが。
しかしその強がるような反応に嗜虐心が刺激されたかと問われれば、是だ。
「……何で、と言われても。行きたくなかったからとしか」
またしてもつれない返答。
もしかして此方の意図を理解していないのかと、今度ははっきり告げた。
「ボク、きみと戦いたくて仕方ないんだけど」
「私は戦いたくないです」
どうやら意図は理解してもらえていたようで、彼女からもきっぱりした言葉が返ってきた。
だからこそ面白くなくて、ボクは思わずポーカーフェイスを崩してしまった。口から苦虫の死体がこぼれ落ちそうな気持ちになりながら、彼女を指差して訊ねる。
「何で」
「……嫌なものは嫌です」
返答はまたしても端的な拒絶。それも感情論。
何かがの行動を阻害しているのなら、それを排除してやれば事は済んだ。しかし彼女自身の感情が原因となれば、話はそう単純ではない。理由は頑として口を割らないけど、とにかくは200階に上がりたくないようだった。付け加えるなら、ボクとの戦闘も拒み続けている。
じっと見るだけでも、のオーラ量の異常さは歴然だ。旅団の彼らでも――もしかしたら団長でも目を剥くかもしれない程の質と量。そんなものを持ちながら、どうして戦闘を好まない素振りを垣間見せるのか。ボクは言い知れぬ違和感のようなものを覚えた。
「なら、ボクが降りていこうか」
唐突に告げると、は愕然と瞳を揺らした。
それは見慣れた反応だった。不意をつかれたときの、人間の表情。思いもかけない行動をボクが取ったとき、相手は決まってこういう目の色をする。観客を驚かせてこその奇術師には、胎内のように落ち着く反応だ。
「こうやって――」
焦らすように、ゆっくりと、ボクは階段を下り始めた。階段内に反響する靴音が心地良い。
殺人鬼に迫られる被害者のように、はじりじりと後退した。けど十歩もしない内に、壁に背中からぶつかって動きを止めた。その間もボクから目を逸らすことだけはしなかった。
まもなく彼女と同じ足場――踊り場に辿り着いた。
さながらお辞儀でもするように腰を曲げて、に顔を近付ける。間近で眺めた彼女の双眸は深海よりずっと暗い色をしていて、色々な感情に絶え間なく揺れ続けていた。
「――階段を下りるみたいにさ」
今までの言動を見るに、ボクの言葉の真意を読み取れないほど鈍感ではない筈だ。
は一瞬だけ諦念をその海底に過らせて、しかしすぐに別の色で塗り潰した。
「……た、戦いたいなら……どうして此処で仕掛けてこないんですか。その方が余程手っ取り早いでしょう」
至極ごもっともな指摘に、やはりの頭は決して悪くないと解って、知らず口角が上がる。
顔を引いたボクは改めて彼女を見下ろした。
「だって、きみを殺したいわけじゃないからね。ならルールに縛られた天空闘技場の方がも安心だし、ボクもいくらか制御が効く」そこまで言って、ふと思い出したから正確に付け加えておいた。「――少なくとも、今はまだ」
の全身が震え上がったのが、瞬時に見て取れた。
……これだ。さっきから矛盾――違和感のようなものを覚えていた。その正体はこれだった。
彼女の心は直下型地震の真上の如く揺れに揺れているというのに、を包むオーラは微動だにしない。達人のそれとしか思えない泰然たるものだ。だけど、それはおかしい。オーラ――念は使用者の心情に大きく左右される繊細な一面がある。故に心持ち一つで強くもなり、その逆もある。精通した達人ほど落ち着いたオーラと同様、大山さながらのメンタルを併せ持っていなければ辻褄が合わないのだ。オーラはその人本人から発されるものだから。
その異常なオーラを除いたという人間は、まるで――普通の女の子みたいだ。
「……やっぱり、嫌です」
ボクが思案に耽っていた最中、は小さくそう呟いた。
考え事の途中だったから、つい感情が漏出してしまって、ボクは知らず眉を寄せていた。
「何で? どうしてそこまで嫌がるんだい? きみは素晴らしいチカラを持っている。それは戦う為に身に着けたモノだろう?」
「違います」
否定は速かった。
彼女は今までの臆病さをその一時だけ打ち消して、強い瞳ではっきりとボクと張り合った。
――凛然としたその姿は、まさに煉獄の如きオーラの持ち主に相応しかった。
「私はこんなモノ――欲しくなかった」
その一言が決定打だった。
ボクは彼女が目の前にいることも忘れ、閉口して黙考に専念する。
の歪さ。
不安定さ。
釣り合わない、態度とオーラ。
その全てを収束させてしまう解が――あるにはある。だがあまりにも突拍子がない。ボク自身念能力者だから分かってしまうのだ――この考えは馬鹿げている、と。しかしそれ以外にを解剖する手段がないのも、また事実だた。
そもそも念を常識で計ることが愚かだ。念は未だボクですら理解しきれていない側面も多い。ならば、のような事態も有り得なくはないのか―――。
ボクはものの二秒ほどでそこまで思考し、そっと口を開いた。
「きみのそれ、もしかして借り物?」
――ボクですら未だ信じ切れていない一言と共に。