落雷着火






 月のない夜だった。

 タルタリヤは激しい雷雨に遭遇していた。

 動物はおろか、虫の気配すら感じられない山中の暗闇で蠢く存在の群れを見下ろしている。

 表の世界では生きていない者たち。女皇の利を害する仇敵として、タルタリヤが執行官として処理すべき対象。

 とはいえ天気は最悪だし、彼らの中に強者がいる情報もなかったから、タルタリヤとしても気乗りしない仕事だった。璃月港を離れる前からさっさと片付けて帰りたい、と思い続けていたから、足を止めるつもりなんて毛頭なかったのに、しかし現にタルタリヤは凝然としてしまっている。

 アビスの魔術師たちに支配された魔物ヒルチャールたちが引きずっているものを目にしてしまったのだ。

 それは頭をかち割られ、顔の左半分を失った知り合いの姿。

 きっともう二度とその目を開けない『郵便屋さん』。


「──────」


 タルタリヤの胸中に渦巻いたのは安堵だったか、後悔だったか。

 どちらか、ではなく、どちらも、だったのか。

 タルタリヤ自身も判別がつかないまま、落胆した。

 ───その程度だったんだ、と。


「…………」


 執行官は改めて武器を握り直した。

 仕事中に何を見た──感じた──ところで、やるべきことは変わらない。『郵便屋さん』の死体をどうするかは、仕事の後で考えればいい。

 そうして一歩踏み込みかけたとき────落雷。

 閃光と轟音。

 雨に濡れていた魔物たちの内、数体が感電したようだった。

 その中には彼を運んでいた一体も含まれていた。

 連動したように、ピクリ。
 動く筈のない人物の指が、動いた。

 ────着火。

 火の端緒になるものなどなかった。あったとしても、この雷雨でしけってしまっていたに違いない。しかし一帯が噴火めいて燃え上がった。

 ヒルチャールの群れどころか、アビスの魔術師すら一瞬で灰に帰す業火。

 火の手はタルタリヤの鼻先を舐めるようにくすぐってから、事もなげに収まった。

 燃え上がったのが一瞬なら、鎮火も一瞬。明らかに自然現象ではない。

 タルタリヤが愕然と見守る中、灰色に染まった暗闇で起き上がる影が一つ。


「……誰かいるのか?」


 彼の声がした。

 応じなければ自分ではないと思った。


「いるよ」

「……タルタリヤか。どうしてこんなところに?」

「それは俺の台詞だよ、


 タルタリヤはいままで殺していた気配を灼然として、木陰からの傍に舞い降りた。手にした武器は収めないまま。


「きみ、死んでたよね?」


 相対して、強い確信を得る。

 の傷は深い。顔半分を失うなんて、致命傷以外の何物でもない。

 しかし彼は平然と佇んでいた。


「……そう見えたか?」

「いまもわりとね」

「見苦しくてすまない。いま直す、、


 言って、けれどは何も行動に移さなかった。

 だが変化はあった。

 時間を逆巻きにするように、失われていたはずのの骨が、肉が、肌が蘇っていくのだ。

 タルタリヤが息を呑む間に、彼の修復はすっかり終わる。そこにはタルタリヤのよく知るがいた。一部始終をこの目で見ていなければ悪い冗談そのものだった。

 くらり、とタルタリヤは眩暈がした。


「……いまさらな質問なんだけど、していいかな」

「どうぞ」

って、ヒトじゃないの?」

「あぁ」


 は間を置かず即答した。


「父は人間だったらしいが、母が魔神だった」

「───それ、って」

「璃月には半仙半人がいるから、それに倣えば……半神半人、になるのか?」


 自分のことなのには不思議そうに首を傾げた。

 タルタリヤは顔を覆いたくなったが、知り合いのかつてない秘密から目を逸らすのは得策ではないように思えて、深い溜め息をつくに留めた。


「……あのさ、いま何歳?」

「千を超えてからは数えてないな。必要なら思い出そうか?」

「いや、いいよ。数が重要なんじゃないから」


 突然転がり落ちてきた得心に、タルタリヤは振り回されている。

 彼の浮世離れした雰囲気は、なるほどそうでなくてはおかしい。

 ───あるいは岩王帝君に並びかねない存在など!


「どうしよ」


 タルタリヤは知らず独り言ちていた。


って俺の気を惹く天才だったりする?」

「そんなつもりはないが……」


 そうなのか? とは顎に手を当ててみせた。


「うん、大天才。最高」


 『郵便屋さん』にまつわる噂の数々に、人ならざるものとしての箔までついた。

 そんな獲物、絶対美味しいに決まっている!

 まったく乗り気ではなかったタルタリヤの身体が前のめりになる。いますぐ理性を捨てて、目の前のに噛みつきたいと本能が呻き出す。あの白い首筋に刃を滑らせることができたなら、前代未聞の興奮を得られるに違いなかった。

 戦闘欲なのか、情欲なのか、独占欲なのか。どれでも構わなかった。自分から生まれる感情のすべてがに向いている事実だけで絶頂してしまえそうだった。

 ……だというのに。


「質問は終わりか。じゃあ俺はこれで」


 がきっぱり踵を返したものだから、タルタリヤは思わぬ肩透かしを叩きつけられた。慌てて彼の後ろを追いかける。


「はぁ!? ちょ、ちょっと待ってよ!」

「なんだ。まだあるのか」

「あるとかないとかじゃなくて! いまのって完全に『俺の正体を知ったからには消えてもらおう……』の流れだったでしょ!?」

「いや、別にそこまでの話じゃないしな……」

「そこまでの話だったよ!?」

「俺の正体を知っている者なんて珍しくない。隠してないから、きみみたいに訊いてきた奴には毎回教えている」

「……いままでに何人ぐらい?」

「だいたい二百人かな」


 千を超える齢で、正体を明かした相手が約二百。それが多いのか少ないのか、神の如き長寿を持たないタルタリヤには分からない。


「昔の奴らも俺の正体を勘付くと、さっきのタルタリヤみたいに知りたそうな顔をしていたから、答えられる範囲の質問には答えてやることにしているんだ」


 タルタリヤが「俺がはじめてじゃないんだ」と肩を落としている間に、はあっさりと放言してくれる。


「ね、待って。待ってよ。分かった。じゃあもうそれでいいから。俺と戦ってよ」

「……なんで?」

「メチャクチャ嫌そうな顔するじゃん! や、だって俺いますごく興奮してるし! こんな状態で帰れないよ!」

「いや……おとなしく帰ってくれ……そんなこと俺に言われても困る……」

のせいなんだから責任取ってよ!」

「冤罪だろ……」

「いいや、絶対にのせいだよ!」


 ───だって、ここまできみが好みのタイプだと思ってなかったんだ!





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