「あ! 海馬くん、おはよう! すごいね!」
「主語」
もはやルーチンワークの一つと化した、家から高校までの往復。
けれど今日は、朝の廊下にいつもと違う人影が窺えた。
珍しく朝から学校に赴いた海馬くんである。
ファンの間ではレア度が二桁ほど跳ね上がる制服姿だ。
私が後ろから顔を覗かせても彼は一瞥すらせず、当然挨拶も返さない。しかしその程度でへこたれていては海馬くんとの交流など不可能なので、特に何も思うことはない。
海馬くんのたった二文字を「主語がないせいで何を言っているか分からない」と端的に告げられたと解釈し、私は彼の隣に並んだ。
「デュエルリンクスだよ! 昨日お兄ちゃんの借りてやってみたんだけど、あれはすごいね! 仮想空間なのに現実みたいだし、自動的に翻訳されるから海外の人と話すのにも不自由ないし、何よりデュエルの凄味が違う!」
「ふん、当然だ。我が社が総力をつぎ込んで完成させたのだからな」
海馬くんはいかにも偉そうに鼻を鳴らした。
――と。いきなりオカルトモンスターみたいにぐるりと首を回し、こちらを眇める。
「……借りた、だと? まさか……曲がりなりにも決闘者デュエリストの端くれのくせに、まだ自分の分を確保していないのか?」
「察してくれよ、海馬くん。そんな財源がいったいどこにあるというんだ」
悠々自適の大学生活を送っている兄はバイト代をはたいて最新機種を入手していたが、バイト禁止の高校に通う私の財布にそんな余裕は一切なかった。カードプールを増やす月々のパック代だけでも結構な負担なのに、ゲームハードにまで回せるわけがないのである。
フ、と意図的に寂し気な笑みを浮かべた私を、海馬くんは露骨に見下した。
「貴様はどこぞの凡骨並か」
「きみは呼吸するようにヒトを馬鹿にするよね」
もう慣れたからいいけどさ、と溜め息をついてしまった。
「ま、とにかく一消費者として『最高』って伝えとこうと思っただけ。ところで先週出された数学の宿題やった?」
「見せんぞ」
「ケチ! ……くそ、どうしよう……嫌だけど獏良くんを頼るしかないのか……」
「嫌なのか」
「……獏良くんは、その……ファンの子達がきみのそれより過激派だからね……」
「見せんぞ」
「何で二回言ったの」
そんな会話をした翌日。
例によって海馬くんに呼び出された私は、放課後海馬邸へと足を運んだ。
慣れ切ってしまった工程で執事さんに案内され、すれ違うメイドさん数人に挨拶をして、いつもと同じ目的地である応接室で海馬くんを待つ―――筈だったのだけど。
何と。今日の応接室には、既に海馬くんが待ち受けていたのである。
「か―――会社潰れたの!?」
「するか愚か者ォ!」
動揺し過ぎて突拍子もないことを口にしてしまったが、コンマで否定されたので胸を撫で下ろす。いやだって、海馬くんが仕事をせずに悠然とソファーでくつろいでいたものだから、もう仕事をしなくていいイコール会社が倒産したまで思考が飛んでしまったのだ。
「貴様の為にわざわざ時間を空けてやったのだ。終わればすぐに仕事に戻る」
よくよく見れば、海馬くんは少々疲れた様子だった。さっきの言葉のせいか、時間を空けるためにいつも以上の無理を己に課したのか。どちらにしても私のせいだ。謝るべきか礼を述べるべきか、いまいち判然としない。
ともかく倒産とかじゃなくてよかったよかった、と水飲み鳥みたいに一人首を動かしながら、彼の向かいに腰を下ろす。
「それじゃ、今日はどうしたの? 海馬くんが私に用事があるなんて珍しい」
「受け取れ」
海馬くんは自らの横に寝かされたいた箱を鷲掴みにして、ぽい、と私の方へ放り投げた。
彼の意想外な行動に些か泡を食ってしまったが、何とかキャッチ。ずしりとした確かな重量感が腕を伝う。
「……え、と。なにこれ」
当惑する私を置いて、海馬くんは未練一つ見せずに立ち上がる。
「用はそれだけだ」
言うが早いか、さっさと部屋を出て行ってしまった。
ばたん、と冷酷な開閉音。
開いた口が塞がらないまま取り残される私。
「……海馬くんの奇行にも慣れてきたと思ってたんだけどなぁ……」
特に今回は見当もつかない奇想天外ぶりだ。
さしもの私も呆然としてしまう。
海馬くんは「受け取れ」と言っていたから、たぶん、この箱は私にくれるんだろう。
彼の読めない真意に首を傾げつつも、蓋を開けてみて―――思わず目を瞬かせてしまった。
「……デュエルディスク」
それも、最新型の。デュエルリンクスに自動接続される機種。
きらきら輝くメタリックな造形を前に、私は知らず笑みを溢してしまう。